虎子

あやしい彼女の虎子のレビュー・感想・評価

あやしい彼女(2016年製作の映画)
4.2
韓国版の主人公の歌の上手さにシビれて、おばあさんの毒舌に大笑いして、「怪しい彼女」は好きな映画のひとつ。

この日本版は予告編で「多部ちゃんの歌は素直で好感が持てるのびやかな声だけど、それほど上手くないな」と思っていた。

歌が肝の作品なのにどうなるんだ、ストーリーを日本に置き換えただけじゃ面白くないぞ、とちょっと上から目線で批判的な気持ち半分で観た。


話は変わるが、「ハリウッド白熱教室」という本を少しずつ読んでいる。
映画の作り方について、効果的なテクニックを解説してくれている講義をまとめた本だ。
映画はストーリーがいいことはもちろん、タイトルの登場方法から始まり画面の構図、色彩、あらゆるところに意図を持って創造しなければならない。
観るものの現実と画面の中の現実は違っていてもいい、そこに意図を持って描き出し、観客がそれを受け入れたなら成功。
大雑把に読み解くならそんな感じのことが書かれている。

よし、本から読みかじった付け焼き刃の知識で日本版「あやしい彼女」を解剖してみよう。

主人公、戦後の時代を苦労して生き抜き、女手ひとつで育て上げた娘と孫が自慢のおばあさん。
生き抜くことだけを考えてきたので、老後の楽しみとかそんなものを考えもつかない。銭湯でパートして未だにコツコツお金を貯める。(倍賞さんの近所の嫌われ者なおばあさんの演技がまたこれ素晴らしい)

それがあるとき突然若返る。

ここに関係ない音楽が絡んでくる。
音楽プロデューサー、歌唱力だけはあるけど対して中身のない歌詞や曲にうんざりしている。

これがこの世界の中で提示されている問題点。

日本の歌手そんな中身スカスカじゃないよ、歌上手くていい歌詞の曲いっぱいあるよとかそういう現実のことは映画の中の世界には関係ない。
でもそれがちらりとでも頭によぎったなら、それもそれで正解。まだあなたを映画の中に引き込む何かの装置が足りなかった。
でもここでは一応提示している。「たまごかけごは〜ん♪」とかいうふざけた曲を可愛い子に歌わせてやりすぎなくらいやっている。

そこで多部ちゃんの歌が出てくる。
ビブラートも技術的にはちょっと甘い、けれど素直な歌声。(私的には声質も好きだ。あたたかみがあって高音も澄んでいて綺麗)
腹から声が出てるってやつだ。昔の人は何かと腹から声を出す。若いのに腹から声出せって言う。田舎だけ?

あやしい彼女は中身がおばあさんなので台詞回しも少し聞き慣れない。「いけしゃあしゃあと」なんて言葉、文面以外で初めて聞いた。
色彩感覚も違う。黄色のカーディガンにそれ何ブルー?のワンピースなんて合うのか?可愛かった。対照に画面の中に出てくる女性はほとんど彩度の低い服を着ていた。
身体の動きもときどき不思議だ。どこか古くさい感じ。そもそも現代人は心の動きが身体にそんなに現れない。

あやしい彼女が怪しいほど、画面の中で彼女が鮮やかになる。着ている服や、言動、周りの人物がより効果的に怪しくしていく。

日本版あやしい彼女は成功か?私は成功だと思う。

ただひとつ納得できないのはバンドのメンバーを捨てて就活してただけのアンナがまんまと多部ちゃんの抜けた穴を埋めてボーカルやってることだけだ。

ここでは全ての苦労してきた老人が素晴らしいかとか昭和は良かったとか若い女がやっぱりいいのかとかそういう現実で繰り返されてきた議論は取り扱わず、あえて映画の中で装置として適切に使われているかだけを考えた。

誰々の歌が上手い下手っていうのは昔からどこかで聞いてきたことだけど、この作品の中では多部ちゃんの歌は効果的な装置として置かれていたと言いたい。巧拙に関係なく好きになれる歌だった。
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