この映画に対して「レビューを書く」という行為自体があまりにもなんか意味なんてなさすぎる気がするんだけど、
自分が扱う言葉というモノを馬鹿馬鹿しく感じてしまうんだけど、
何も考えずにとりあえず映画を観て得た
莫大な情報を記憶として残しておきたくて
くだらない文字の連なりで残そう
もうこの域に達すると哲学的、芸術的
何を観せられたの?魅せられたの!
回文のように頭の中を繰り返し繰り返し答えを追ってて、
でもまぁ答えなんてないんだけど
正解も不正解も勿論ないんだからそりゃそうなんですけど
あの飛行物体が留まる理由として、
僕も何処か自分の頭の中の着地点を探してるというかなんか本当そうゆうこと
地球が太陽の周りをグルグル回ってるのと一緒で
僕もある本質的な"生命"とか"言語"とかの周りをグルグル回ってるのと一緒みたいなもの
例えば、
「終わりと始まり」が全てわかったとして。
わかったとしてもまた同じ選択をする事が出来るのであるか
同じ選択をする事が全てでないとこれまたわかったとして、
自分の与えられた武器や手段、そして贈り物を解読した"ここからの救い"として歩むことができるのか
終わりと始まりなんてないのかもしれないと何処かで感じたとして
愛する娘の人生の始まりと終わりに対しても概念を取っ払うことは出来るのか
いずれにしたって人と人とのコミュニケーションも人と人外との接触もいたって変わらないという事なのか、
人間が用いる言語は多様多種な意味が存在してしまうので却って難しく
判断を急かし、鈍らせ、争いあう
多様多種な言語だからこそ、自由で豊かであるべきことなのだと思うけれども
文明が進化し続けるとして
僕らが今生きる上でのメッセージって何なのだろう