ハマー

リメンバー・ミーのハマーのネタバレレビュー・内容・結末

リメンバー・ミー(2017年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

※今回は酷評となっております。
気分を害される方もいらっしゃると思いますので、
この作品で『感動した!!」って方は、読まない方が良いと思います(^▽^;)


『考えれば考えるほど盲点が見えて悲しくなってくる…
『考えるな!感じろ!』系の映画。
死者の国…その存在自体がとても優しい世界観…と思ったらそれは、ピクサーアニメの術中にハマってます。
この死者の国には欠陥かつ、
「ぼっち」「孤独な人」「自殺した人」には、とても辛い死後の世界である。』

え〜…今作も周りのフォロワーさんが、号泣しながら賞賛されているので、酷評コメント行きま〜す。
(`・ω・´)b

死者の国…一見、その存在自体がとても優しい世界観…と思わせてくるからピクサーのアニメーション力は凄くて、そして恐ろしい…

自分も観た時は少し泣きました。
だからみなさんが号泣するほど絶賛する気持ちは分かります。

しかし、冷静に思い返してみると、
死者の国のシステムには、欠陥があります。
その欠陥に対して、本作は上手く触れずに、面白おかしく都合の良いように展開しているということにたどり着きます。

ぶっちゃけ、
考えれば考えるほど評価が下がっていく作品です。
(そんな分析しなきゃいいのに…と思われるかもしれませんが、僕にとって、『見て見ぬ振り』的なことはしたくないんです…だからこれからも皆さんに嫌われながらでも、分析していきます‼︎(`・ω・´)b)

さて、かなり脱線しましたが、
死者の国の欠点について、今回は述べていきます。

疑問その①
・死者の日に写真が無ければ、死者の国にいる人は、現世に行けない。ではカメラが存在しない時代はどうしてたのか…

これが最大の謎。僕たちの世界でもメキシコで存在する「死者の日」。
そもそも死者の日の起源は、500年前だと言われています。
では、カメラはどうか…
カメラが始めて撮影されたのが、1826 or 1827年。
明らかにカメラが普及する前に死者の日はあった。
ということは、カメラが無い時代。(写真)が無い時代に亡くなった人達は、現世に行けないのでは?という疑問が生まれる。

本作では、遊園地(USJ)の顔認証システムを取り入れた、死者の国→現世へのパスとして、面白おかしい演出で楽しませてくれます( ̄▽ ̄)
が…では、写真が無い時代はどうしたのか…

『現世に行けない。』が正解となってしまいます。
だとしたら、リメンバーミーの世界自体の死者の日のお祭りが、カメラが存在する時代から「死者の国」が出来たのでしょうか?
それもありえない。
あり得るとしても、それは昔の人は「死者の国」の民になれなかった。ということになります。
よって
結論:写真ではなく、お供え物。(写真も含めて、当時の人が大切に身に付けていたもの)
を祭壇に飾る。
という設定にしなければ辻褄が合わなくなります。
しかし写真という安易なアイテムを使用して、一般客に分かりやすいストーリーにした反面、死者の国システムに矛盾が発生するという大ダメージ。
評価としては、下げざるをえません。

疑問その②
そもそも「ぼっち」「孤独な人」等は、死者の国に辿り着けるのか。
また、
「自殺した人」にとって、死者の国に行きたいのだろうか。

この映画が素晴らしい展開を見せているのは、家族愛があるからこそだと思います。
だったら「家族愛」が無い人、知らない人は、どうなのでしょう…
例えば、ぼっちや孤独な人が死んだ場合、誰がその人のことを覚えているのだろうか。
誰の記憶にも残っていない人が死んだ場合、彼らの行き着く先は何処になるのだろうか…
を考えると、途端に悲しくなってきます…
結論:死者の国に行けるのは、全ての人ではない。(そこには「愛」されたものだけが辿り着けるという格差が存在する。)

また『自殺した人』に関しては、
その人は死んで、意識が解放されても、
(知り合いが現世にいれば)死者の国で、再び意識が宿る。
という、せっかく自殺したのに、意識を解放させてくれないという…
自殺者に対して、大変厳しいシステムとも言えます。
(忘れ去られるまで反省しろ。ご先祖様にも散々怒られろ。的なメッセージにも見えます。
これはある意味、自害に対する『罰』とも取れるので良いシステムとも言えます。)

ということで、僕の★の数は、これくらいになってます。

何だかんだ書きましたが、
そういうことを気にしなければ、ミュージカルも楽しめて、大変良い作品だと思います。(`・ω・´)b


個人的に楽しめたのは、犬のダンテです。
その名の通り、詩人ダンテからとったような犬。
詩人ダンテは、天国、地獄、煉獄を扱った長編物語作品を作ってますので、案内犬というのも納得。
(ただ、個人的には変身はして欲しくなかった(^▽^;)
最後まで凄い犬なのか…それともただのアホ犬なのか…という中途半端な状態で終わってミステリアス犬であって欲しかったかな。)


それと、原題のCoco !!
原題が素晴らしい。邦題だと、全人類に向けたテーマになりますが、
原題だと、本当に個人的なテーマの作品になります。
ここまで全人類に見せれる作品なのに、原題の個人へのアピールは、ピクサーがそのキャラクターに、対する
漢気と尊敬と愛を感じさせてくれました。
ハマー

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