フィルマークス記念すべき100本目!
2016年映画納め!
正義や悪という分別がどれだけ無駄なものであるのかよくわかるドキュメンタリーだった。
ヤクザは悪である。
この事実に異論は無い。
クスリを売って、児童ポルノを売って稼いでるヤクザは最低だ。
そういう前提を持って、このドキュメンタリー映画を観た。
結果、その前提自体は変わらなかった。
この映画を観た後もやっぱりヤクザは最低で最悪だ。
しかし、そういう人たちを排除して、迫害まがいのことをして何になるのか。
という疑問も同時に生まれた。
排除して、排除して、排除して。
排除された人たちはどうすればいいの?
不快なものを排除したその先は?
嫌なものすべてを見て見ないふりをして、隅っこに追いやって、そうしないと成り立たない世界ってどんな世界だよ。
どんな理由があれ、ヤクザをやっていいなんてこれっぽっちも思わないし、ヤクザを心底軽蔑している。
しかし、社会で一回でも失敗して食っていけない状況にある若者を救う制度を準備しようとしない政治家たちも同じくらい軽蔑する。
不快なもの嫌なものを見て見ないふりをするという雰囲気がこの国には充満しているように思う。
この映画を見て、ヤクザの世界を覗き見しているような気分になったが、それは少し違うような気がする。
普通に生活していても見ようとすれば、見れたのだ。
ただ、今まで見ようとしなかっただけだ。
街に出れば、ヤクザはいるし、ホームレスはいる。
学校には、いじめられてる奴がいた。
いるけど、見なかったことにしていただけだ。
社会的弱者と呼ばれる人たちが、どうにもならなくてヤクザになるという事実がある。
その事実を見て見ないふりをして「暴力団を根絶しよう」なんてちゃんちゃらおかしい。
軽蔑して、排除するだけじゃ何も変わらない。
軽蔑して、受け入れなかったらダメだ。
ヤクザみたいなバカなことやってる奴らには
「お前何やってんだ。バカ。もう一生そんなことすんな。一緒にこっちの世界で仕事しよう。」
と言ってあげなきゃダメだ。
それは、ものすごく勇気がいる怖いことだけど、そうしないと立ち行かないくらいに暴対法という法律は制度疲労を起こしている。
この映画に、人間の嫌なところを見た。
みなさん、良いお年を。笑