ジャン・ルーシュ初はドキュメンタリーでした。カメラの前で人は真実になれるか、というテーマで、「真実映画」をうたっているわけだが、私なりに適当に備忘録として考えたことを書くと、
やはりね、真実かどうかってのは、態度にあるんだと思いますね。嘘をつくこともある種のリアル(現実)です。で、Authenticityはどこから生まれるか。それは態度としか考えられない。なるべく現実に忠実にあろうする行為に宿る。固有のものではないし、我々の中には真偽はない。真偽の判断はある種の数学的な概念にしかできない。1+1=3など。で、我々はいつも何かに反応しているわけで、内部になにか確実なものがあるとは考えにくい。
で、ぼくが『真実』を感じるときは、なにかを試すときです。会話のなかに、自分を概念化して提示するときや・・・そんなときは自分を対象化しているわけで・・・で、カメラを構えるということは、それ自体現実への試み、賭けだと思うんですね。そこが面白い。人間らしい。そんな気がしました!
※ここにでてくるMary Louという女性が毛皮のマリーズの曲の元ネタだと思う