ボブおじさん

ビジョンのボブおじさんのレビュー・感想・評価

ビジョン(2015年製作の映画)
4.2
この映画の中には、大きなトリックが3つ隠されている。1つ目のアリバイトリックは、観客にヒントを与えながら映画の中盤で徐々に解き明かされていく。

2つ目のトリックは、思い込みを利用して仕掛ける伏線回収トリックで、映画好きでも途中で気づく人は少ないと思う。

3つ目のトリックについては、それがトリックであることすら、ほとんどの人が気づかないまま映画を見終わる。

数日前に見た本作のリメイク作品「共謀家族」がとても面白かったので、順番が逆になったがオリジナルのインド版も見ることにした。

リメイク作を見た後にオリジナルを見るとストーリーを知っているだけに新鮮さに欠けることの方が多いのだが、本作は、大筋は変わらないものの国の文化や登場人物のキャラクターも微妙に違うので、問題なく楽しむことができた😊

インド映画らしくリメイク作より50分も長いのだが、双方の家族と警察側の捜査が目まぐるしく展開するので、全く長さを感じさせなかった。

この映画を一言で説明すると〝記憶のすり替えを利用したアリバイトリックを使ったミステリーにコーティングされた2組の親子の物語〟だ。

裕福ではないが、妻と2人の娘の愛に包まれながら家族を支える小さなケーブルTV局の経営者と遅くにできた息子をエリートビジネスマンの夫と共に甘やかし、子育てに失敗した州警察の女性長官。

交わるはずのない2人が、子供が参加したキャンプ合宿での事件をきっかけに交差する。

かけがえのない家族を守る為ならば、人は善悪を越え何だってする。たとえどんなに身勝手だと言われようとも。

果たしてトリックは見破られるのか?男は家族を守れるのか?




〈ネタバレ有りの余談ですが〉

★★ここから先は、3つのトリックのネタバレを含みますので、未見の方は、ご注意下さい★★

第1のトリックについては、まさに王道のミステリー映画を見ているようだ。明らかに日にちが異なる偽物のアリバイを〝人間の視覚と音(印象的な台詞)〟による錯覚や思い込みで印象操作させるというものだ。言葉にすると強引なようだが、この場面を時間を割いて丁寧に描写している為、矛盾は感じない。

また、このトリックを示唆する言葉が序盤に映る〝映画のテクニック〟について主人公が説明する台詞に隠されている。〝短いカットと音をつないだ(編集した)だけで、実際は何も起きていない〟😊

第2のトリックは、皆んな大好き伏線回収を利用したトリックだ。警察がアリバイのトリックに気づきながらも逮捕できなかった最大の要因は死体が出てこなかった為だろう。

この死体の隠し場所について、この映画では二重の伏線回収という高度な演出を使っている。死体を自宅の庭に運んだ母娘は、死体をどこに隠そうか迷ったが、夫が肥料を作るために掘った穴のことを思い出し、そこにに埋める。序盤にさりげなく穴を掘る場面を映し、それが死体を隠すのに丁度いい大きさだったことを観客に思い出させる、オーソドックスな伏線回収だ。

ところがクライマックスで穴を掘ると死体は出てこない。これには驚いた人も多かったのではないだろうか?

実は真の隠し場所についても、事前に伏線が張られていたのだ。私はリメイクの「共謀家族」を先に見ていたので、このトリックは当然知っていたが、こちらが先だったら果たして見破れていただろうか?

このように映画の中盤に伏線を回収して、忘れた頃にもう一度その伏線を利用することを〝伏線の二重回収〟と呼ぶこともあり、脚本上のかなり高度なテクニックと言われている。最も有名なのはビリー・ワイルダー監督の「アパートの鍵貸します」の中で用いられる〝コンパクト〟を使った例だろう。コンパクトの伏線が二度登場し、それぞれに違う意味を持たせるという実に高度な演出をしているが、本作はその応用編とも言えるだろう。

〝警察と警察署が我々の安全を守ってくれます〟(警察署が死体を隠すように建っている)という何とも皮肉めいた台詞を残してからのラストの種明かしの編集と演出は見事なものである😊

大満足で映画を見終わった時、そういえば最後の結末が中国版と違ったなと両者を頭の中で比較している時、この映画の第3のトリックに気がついた‼︎

第3のトリック
この手の〝犯罪と家族〟を描いた映画を見る時、大抵の人は被害者側に感情移入して被害者=善、加害者=悪という図式を描きたがる。物語をシンプルにした方が見やすいし感動もできるからだ。

だが、冷静に考えてほしい。この映画の最大の被害者は、一体誰だろう⁇⁇

多くの人は、主人公の娘とその家族を被害者だと思い、盗撮して脅迫までした少年を加害者として見ているが、誰が何と言おうとも最大の被害者は、殺された少年である。異論のある人もいると思うが、犯した罪と受けた罰の割が合わない。

一方、主人公家族がしたことは、殺人及び死体遺棄、そして証拠隠滅である。殺人は過失致死かもしれないが、その後の行為は言い訳できない。

誰でもわかる常識なのに、この映画を見た多くの人は、主人公一家が無事逃げ切ることを望み、事件が迷宮入りすることを願っている。

これこそが、この映画のタイトルにもなっている「Drishyam」=〝目に見えるもの〟で、その裏には〝目に見えているものが正しいとは限らない〟という意味が含まれていると思う。

直接的には、例の記憶のすり替えトリックのことを指している言葉なのだが、更に深読みすると、少年のことを何も知らない観客が〝きっとあいつはロクな奴じゃない〟=殺されても仕方のないクズと決めつけている恐ろしさも描いているように感じてしまう。

まだ納得できないという人に聞きたい。この事件で生き残った家族で1番可哀想なのは誰か?もし幼い末っ子だと思うなら、彼女を事件に巻き込んで犯罪に加担させたのは誰なのか?彼女は一生そのトラウマから逃れることは出来ないだろう。

軽視されがちな少年の父親の気持ちは、どうだろう?彼は息子を甘やかし、子育てに失敗したかもしれない。だが、その代償は彼に相応しいものだろうか?主人公ではなく、この父親の視点でこの映画を見るとまるで違う世界が現れる。

興味深いのは、ラストの描き方がオリジナルとリメイク版では、まるで違うことだ。
中国版ではラスト主人公は、相手の夫婦に罪を告白して、家族を守るため自らが犠牲になって刑に服す。

描かれている国や宗教観の違いもあると思うが、あなたはどちらが好みだろうか?

改めて思い出してみると映画の冒頭で監督は、ある男に意味深な台詞を言わせている。もしかしたらその台詞が最も正しい真理であり、この映画の〝最大のトリック〟なのかもしれない。

事件が終わり、不祥事で人事が一新された警察署に新任の警官がやって来て、主人公の男に会う。新しい警察署長に〝悪い男には見えませんが〟という言葉に対してこう返すのだ。

〝人は見た目では判断できない。奴はとんでもないことをしでかした男なんだ〟