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牡蠣工場のandyのネタバレレビュー・内容・結末

牡蠣工場(2015年製作の映画)
5.0

このレビューはネタバレを含みます

上映後のトークショー付きで想田監督が松山に来られていました。想田監督の作品は以前から知っていたのですが観る機会が無く、今回松山に来られるという事で、仕事も早々に切り上げて行ってきました。 以下ネタばれの内容もありますが、読まれたからと言って映画の感動が損なわれる事はないと思います。それだけのインパクトはあったと思います。

「牡蠣工場」はその名の通り、養殖の牡蠣を引き揚げて、それを工場内に持ち込み、人手を使って甲羅を剥いて中身を取り出し、各方面に卸していきます。 映画を見て頂ければわかりますが、まさしく「こうば」です。 想田作品の特徴は、観察映画というドキュメンタリーです。想田監督自身が1台のカメラを持って、撮影から編集、音楽等に至るまで全て一人でこなされます。 想田監督が意識されているのは、ドキュメンタリーであっても、最初から主張したい事などがあって、それに落とし込むべきネタを集めて作品を作り上げるものではないという事です。どこか予定調和になってしまうと言われてました。 実際に、想田監督は10年ほどNHKでドキュメンタリー作品を手がけられた経験から、上記のような従来のドキュメンタリー制作に疑問を持っておられました。 そしてご自身で手がけられる様になってからは、アクシデントやトラブル大歓迎で、筋書きのないドキュメンタリー作品を撮られる様になりました。 事実、『牡蠣工場』も最初から牡蠣工場を撮影しようとした訳ではなかったそうです。 奥様の故郷が岡山県牛窓なのですが、そこの漁師の方々生活を撮りに行った中で、牡蠣工場の存在を知り、撮影していったら、結果『牡蠣工場』が完成したとの事です。

今回が観察映画6作目に当たりますが、最初は観察映画に徹しようと、可能な限り想田監督の存在が被撮影者に影響を与えない様、自然に振る舞える様試行錯誤を繰り返されて様です。 しかし、最近では想田監督に影響を受けたれた被撮影者の方の振る舞いも、それ自身が個性だとして受け入れ、より想田監督自身が自然体に振舞われているようです。 実際に、映画の中で想田監督の声が入っている場面も散見され、それ自体OKとの事でした。 撮影は多分1週間程だったと言われていました。 しかし、編集に莫大な労力と時間を費やします。 想田監督の作品は編集が肝になります。 その作業があって、初めて観客に観てもらえるクオリティーになるそうです。 想田監督は、自分が撮影しながら体験した事を、映画を通じて追体験して欲しいと言われていました。この点が観察映画の醍醐味の一つではないかと思います。

私が追体験したシーンは、牡蠣の養殖場から山のような牡蠣が釣り上げられる瞬間です。 牡蠣の硬い甲羅同士がぶつかり合う音が印象的でした。それと、工場ですので、牡蠣が出荷されるまでのプロセスは何度も映るのですが、商品である牡蠣を食べるシーンが1箇所だけありました。出稼ぎで中国からやってきた青年二人に、工場に来た初日に一緒に食べます。作品も後半だったので、そのシーンがやたらと残ってしまいました。

監督自身が予定調和を好まず、追体験をして欲しいと言われた「観察映画」ですが、その特性として、観客自身逃げられないという感想を持ちました。映画に出てくる人達の感情がダイレクトに伝わってきます。通常の映画ですと、どれだけ心揺さぶられるシーンがあっても、それは演技というオブラートで包まれて観客に伝わります。 しかし、『牡蠣工場』では、オブラート無しでそのまま伝わって来ます。 故に、逃げられないですし、追体験の一形態でもあります。作品中で誰かが激昂するような場面はありませんが、しずかなシーンでもあっても、それがかえってじわじわと伝わってくるんです。例えば、上記の出稼ぎでやってたきた青年二人の不安の混じった表情などです。 『観察する男』(ミシマ社)と映画を一緒に味わう事で、理解度と面白さは倍増です。
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