知覚するもの(カメラ)に知覚されたものは何か恐ろしい感情を持ち倒れてしまう。人物たちは同時に知覚するものにもなり得るが、主人公を知覚する前にカメラに知覚され倒れてしまう。静物、動物たちはカメラに知覚されても倒れることはないが、知覚するものになり得るという点で、主人公の驚異になる。カメラによる知覚と人物による知覚が重複することによって何か不都合が生じているように思われる。最後には自己による自己の知覚によって死ぬ(=知覚し得ぬものになる=不在)。
ドゥルーズが言うには、他者と区別されたり混同されたりするための自己などというものを持たない、宇宙的で霊的なるざわめきに到達すること、つまり知覚し得ぬものになることこそが「生」である、という。