見てから20日近くたったのにうまくまとまらない…
作品そのものより岩井俊二がどうだこうだと考えてしまうからにちがいない
僕にとっての岩井俊二は映画監督ではなく、1990年代が投影されたアイコンのような存在だということに思い当たった
92年の「ゴーストインザスープ」にはじまり98年の「四月物語」まで、短編とドキュメンタリーをのぞく8本くらいの岩井作品を見た
90年代、今では考えられない、まるで三池崇史のようなペースで岩井作品が公開されていたわけだけど、2000年代は長編劇映画に限定すると「リリィシュシュ」「花とアリス」だけだったような…
例えば同じ映画というフィールドだと岩井作品に主演している浅野忠信も好きで、特に90年代の浅野忠信が好きだけれど、彼の場合は2000年代、2010年代とコンスタントに出演作品が公開されている
そういう意味で僕にとっての岩井俊二はやはり90年代という背景を色濃く反映したアイコンなのだと思う(岩井俊二的な日本のサブカルチャーだと音楽でいう渋谷系がちょうどこの時期の象徴であるように)
岩井俊二のかつての所属事務所とはおつきあいがあったし、「ピクニック」には知人が出演していたりもするからよけいにそう思える
全然違うかもしれないけど、ある歳月この世界にその人しか存在しないくらい好きだった女性とは元サヤはあっても友達にはなれないみたいな感覚があって、どうも素直に岩井作品を見ることができない
別れて何年もたって、その女性の今の性癖を知りたくない的な、でもそこにあるのは性癖じゃないかも知れないから見てしまう的な
一度も一緒にシャワー浴びたことなかった彼女が今の彼とは一緒に浴びていたらショックだけどこれで未練が断ち切れる的な、でもひとりシャワーだったらやっぱりうれしい的な
結果…いつもひとりシャワーだけど同性である女性とは仲睦まじく一緒にシャワー浴びていた…そんな感じ
黒木華、ふわふわと地に足がつかない存在感のなさがまさにいい仕事
綾野剛、脚本じたい理解しづらい役柄だったからあれで良かったのかどうか判断つかないけれど、代わりがいないといえばいない
Coccoは岩井俊二とその作品世界との親和性高すぎて言うことなし
りりィ、最後に全部持っていった
ステレオタイプな結婚式や通夜、蒲田とか焼酎とかドメスティックなモノコトを描きながら岩井フェティシズム、岩井ファンタジーはしっかりとそこにあって、匿名性の高い、汎アジア、ひいては世界標準の表現となっていることに感動
現実と虚構、実像と虚像
どちらがリアルでどちらが実態なのかはきっとその人の存在理由、自己実現の度合いでしかはかれないのだろうな、なんて
ディスプレイの向こう側の少女はその証人、なんて
松田優作のセリフで知ったリップヴァンウィンクルはアルコールがトリガーとなる西洋版の浦島太郎…なるほど…
野田洋次郎x森田童子とかいろいろシビれた
…長っ…