MMM

何者のMMMのレビュー・感想・評価

何者(2016年製作の映画)
4.0
「言葉が穿つ。悲鳴が聴こえる。」

『何者』、堪能しました。

就職活動という多くの人が経験したであろうターニングポイントを切り口に、「現代のシューカツの問題点」と、そこで「悪戦苦闘する若者たちのリアル」、「SNSが普及した今日だからこその人々のコミュニケーションの変化」などをとても冷静に分析し、そこにある膿をえぐり出した作品だと感じました。

日本の「新規学卒一括採用」という雇用慣行は、世界でも例をみないオリジナルなものです。
ざっくり言うと、企業内の年齢構成を保つ目的と、スキルはなくても良いので若くやる気のある新人を企業内で育成していくという方針から成り立っています。
1年という限られた期間の中で、何者かにならなければならない。
なぜなら、基本的に日本のシューカツは、人生に1度きりだから。
新卒のゴールデンチケットを何としてでも高く捌かなければ、と。
こうした思いが就活生をより苦しめてもいるでしょう。

この方式は、高度経済成長期に確立しました。
フレッシュな労働力が沢山いて、大量生産・大量消費で作れば作るほどモノは売れ、企業は余裕があり、労働者に求められる能力は画一的なものでした。

しかし、時代は変わった。
高度経済成長期はとうに終焉を迎え、少子高齢化の時代に突入しました。労働力は年々減少傾向にあり、情報化され多様なニーズが生まれた社会に、必要とされるものを必要な数だけ生み出して、消費してもらわなければならなくなった。
バルブが弾け、企業内の余裕はなくなり、採用は厳選採用化、労働者に求められる能力は年々高度になっていっています。
人間力・コミュ力・問題解決能力……etc.

今のシューカツ生を取り囲む状況は、「過酷」の一言に尽きるでしょう。
教育課程で職業に結びつく教育を施されたり、学習していくわけでもなく、レールに乗っかり進んできて、右に倣えが美徳とされてきたのに、シューカツになると、自分の全人間性を開示して、他とは違うということをアピールさせられる。
客観的に示しづらい能力をさも持っているように振舞わなければならない。
会社ごとの自分を作って、面接に臨み、演じる。
なぜ自分に内定が出なくて、あいつには出るのか。
受かる理由、落ちる理由がわからない。
シューカツという狂気を孕んだうねりのなかで、自分という人間の人生を切り貼りし、自己像を何度も何度も内定が出るまで作り続けなければならない。
ゴールのみえない暗闇を手探りで進んでいるのが、今のシューカツ生でしょう。

そうした環境に主人公達も例外なく置かれている。
私自身もシューカツに打ち込んだ口で、似たような状況にいました。
就活塾に入り、多くの就活生と関わり、しゃにむにシューカツしていました。
そこにも、劇中に出てくるような妬みや羨望、不安や憎悪があったと思います。
とてつもないプレッシャーの中で、本来であれば穏やかな人々が醜く変わっていく。
自分が自分でなくなっていく。
自分自身を見失ってしまう。
自分には価値がないのではないかと考えてしまう。
主人公達が経験するこれらのことを私自身も経験し、心がえぐられるように共感しました。

きっと、この映画は多くの人々の心に共感をもたらすでしょう。
それは優しくも軽くもなく、重苦しいとは思いますが、感じてみる価値があるものです。
右肩上がりの新卒就職率だけでは見えてこない、
日本のシューカツが孕む問題とそこで生まれる人間模様をぜひ堪能してください。

もしこれを悩めるシューカツ生が読んでいるのならば、私がしたいアドバイスはただ1つ。
「自分がどう生きたいかを考え抜け」ということです。
それにシューカツが必要ならば、やり抜けばいい。
そうでなく他のアプローチが有効なら、迷わずそうしなさい。
やり方は一つ所ではないのです。

誰かが言っていました。
「20代は、何者かになる時代だ」と。
みなさんは、いま、何者ですか??
MMM

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