裏垢の恐怖。
まるでスリラー映画の様な理香(二階堂ふみ)の責め立てるように言い放った言葉。
"自分じゃない誰かになれる場所が欲しんだよね?"
痺れた。
と同時に突き付けられた言葉は自分にも言われてるようで。
朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」が好きだっただけに(同作の映画版も肯定派)今作の化け方に興味あったけど…クライマックスは意表付いてたし、彼がツイッターから放った言葉が世を歩くその陶酔感的な見せ方も(作品中ではそれを舞台と訳して)そして、スマホの打ち込み音もまさに"普通の"拓人が立ちたい場所を如実に表現してる。
でもそれを誰より"寒い"って思ってしまってる彼の現代人らしさが滲み出る終盤とそこから気付きの変化を帯びるところとか。
良く映画に持ち込んでいるなと。
見る側に彼の方向性を明示しない事が彼の未来を想像させる事を寧ろ自分や、この私達が生きるコミュニティに繋げて考えてみると、なんとも現代の多様性と言いながら日本なんかは、まだまだなんでも批判で炎上するこんな社会や風潮、概念なんてものも包括して皮肉ってる気がした。
そういえば…自分は今や現役学生とは程遠いわけだが平井堅の「告白」という曲をたまたまこのタイミングで聞いてリンクしたものを感じた。
この歌の歌詞に
「脚本の無い人生という舞台に誰もが泣き笑い芝居…」
のような感じの詞があるけれど、みんなまさにそれぞれの人生の舞台でそんな"もがき"の様な芝居しているんだ。(実際にはもがいていてもそれを見せない人が沢山いるわけで)
こんな今って息苦しいのか。
学生も大変だなとつくづく思った。
岡田将生が演じていた学生が理想に生きながら(自分は特別だと思いながら)有村架純演じる瑞月に強烈一言を浴びせられいきなり現実に戻ってきた姿に何か被るものを感じた私だったけど…みんなは意外と佐藤健演じた拓人や菅田将暉演じた光太郎なんだろうか。
この作品はそんな誰もが共感できるパターンに溢れそれぞれの価値観で感情移入しやすくなっているという意味においてはこのアンサンブル劇は成功していると思う。
話は唐突だが冒頭の結論としては、良く作り込まれていたけど作品としては結局学生最後の狂想曲を見せられてる感のほうが上回ってしまいなんだか映画的醍醐味を感じ切れず終わっていった気がする。
うまく作れていたと感心してそんなレビューを偉そうに書いてしまうアマチュアレビュワーな自分。
そんな私も拓人なんだろうか。
そう言えば…わたしは「誰」ですか?
あなたは…「何者」ですか?
…。