このレビューはネタバレを含みます
結局何が一体どうだったんだ…
8時間のものを強制的に2時間にした結果、アタマとケツは一応あるにはあるが、中部分が『(500)日のサマー』よろしく時系列シャッフルのトラッシュ映像ラッシュみたいになってしまった。
つまりこれは『(501)日のsummer,2014』なのだ!
そのツナギ方も割と脈絡がなくまさにトラッシュ映像!
「まるで、みのるの混乱した脳内を覗いているようだ!」と言えば聞こえはいいが…はたして…
こういうドキュメントAVって、監督自身が悩んだ挙句に自分で作品的な落とし前をつけるまでの話になる訳だけど(『監督失格』とか、ハマジムいくつかだけ見たにわかAVイメージです。すいません)、今回の、少なくとも劇場版でのこの落とし所はこれでいいのかなって…
一昨年に『劇場版テレクラキャノンボール2013』があってからというもの、大スクリーンでハードコアなおばちゃんの全裸や生活感満載の生活を見る事自体へのショックももはや薄れている気がするし。
"なんか撮れたよ"と最後にテロップは出るが、はたしてこれはどうなんだろうか…いやまあ何かではあるけど…
要はオチのないものを闇鍋に放り込んでグルグル混ぜたようなそんな感じに思ってしまいました。
後半のおばちゃん使いも「代打」という落とし所な訳だけど、
これも『BiSキャノンボール』や『梁井一Best Hits』での梁井さんや、『Gossip Boys』でのみちるさんの延長上だし…
アフターテレキャノ系はこの手法使い過ぎな気もする。
ここ最近、『テレクラキャノンボール2013』にヤラれ、アフターテレキャノ作品を数作見て思ったのは、
俺のような『〜2013』という、実はストーリー自体に非常に芯のある快作から入ったようなサブカルイナゴ達が、周辺作や後続作を見て、AV/ドキュメント本来の持つ(?)その悪く言えば曖昧さやどうとでも想える感にめちゃ混乱してるんだろうなって、
劇場の「お、おう…」ムードを見て思いました。というか俺がまさに今一番そうなっています。
ただ、みのるちゃんが喋る姿はもちろん結構出てくるので断片としてはわりかし面白いです。