Keiko

太陽のめざめのKeikoのネタバレレビュー・内容・結末

太陽のめざめ(2015年製作の映画)
3.8

このレビューはネタバレを含みます

エマニュエル・ベルコ監督×カトリーヌ・ドヌーヴ主演という、『ミス・ブルターニュの恋』(2013) と同じタッグの作品。

『理由なき反抗』(1955)や、グザヴィエ・ドランの『マイ・マザー』(2009)、『Mommy/マミー』(2014)あたりを思い出した。思い出したというだけで、似ているという話ではない。

カトリーヌ・ドヌーヴ目当てで見たけど、マロニー役のロッド・パラドの演技に圧倒された。彼はすごい俳優になりそう。

マロニーはかなりのマザコンで、彼の母親もまた、かなり息子に依存・執着しているように見えるけど、本当に相手を思いやる心は持てていない。
それぞれ「自分が寂しいから」という理由で相手を求めているだけだ。1人になりたくないだけで、相手の幸せを願う余裕はまったくない。
そんな中、フローランス判事(カトリーヌ・ドヌーヴ)や教育係のヤンを始めとする大人たちは、本当にマロニーの将来を思って彼に手を貸してくれる。

マロニーが更生する最大のきっかけは、恋人テス(ディアーヌ・ルーセル)が妊娠したことになっているけど、これには眉をひそめてしまう。
マロニーがあんな非行少年になってしまったのは、どう考えても母親のせいだ。不器用ながらも息子を愛しているのはわかるけど、それにしたって同情できない要素が多すぎる。責任能力のない子供が、まともに避妊をせずに子供を産んでしまった末路がこれだ。
そんな母親に育てられたマロニーが、また同じことを繰り返すのか? 施設、少年院、刑務所を行ったり来たりしている未成年の彼が、本当に“まともな”親になれるのか?
そんな突き放す意見しか言えない私は、未成年に寄り添えない冷酷な大人なのだろうか?
テスに妊娠を告げられた時も逃げ、中絶からも逃げ、父親になる決意を固めたのかと思いきや妊婦の指導員に暴力を振るい……
「子供はオモチャじゃない」って、マロニーも彼の母親も言うけれど、本当に言葉の意味をわかって言っているのかな?

全編通してかなり苛ついてしまったけれど、こんな現実が世の中にはたくさん転がっているのだと思うと恐ろしい。「好みの映画じゃなかった」と片付けられる作品ではないと思う。
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