観るのは、二回目。
映画館でみた後に、漫画をよんだ。
そして、最近、また漫画を読んだ(市の図書館で借りれた)。
で、今回ツタヤでブルーレイを借りた。
映画館で、みたときは衝撃を受けた。とにかく、植野さんのことが頭から離れなかった。彼女は、善か悪かということばかり考えてしまった。
でも、善とか悪とかの問題じゃないと今回気づいた。ショーヤもショーコも善とか悪にとらわれすぎてしまった。もちろん、悪いことは悪い。でも、間違えは誰にだってある。しかも、その間違えというのは、その人自身にとっては善の気持ちからくることが大概だ。
出てきた登場人物は、みんな間違っていた。みんな間違った行動はあった。もちろん、ショーコのおばちゃんにだって、間違えた過去はあるのだろう。間違えない人間はいない。それに気づくだけでも世界はかわるのかも。
その間違えはどうやって、払拭されるのだろうか。その問題と「向きあう」ことで解決するのか。この作品ではそうではなかった。「向きあうこと」で、「問題が解決する」という「原因」と「結果」なのではなく。「向きあう(向き合える)こと」も「問題が解決する」こともどちらも「結果」だった。その結果に導くのは、ほんのちょっとの優しさ。自分で自分を認める優しさ。他人からの優しさなんだと思った。
二回目とあって、今回は、ショーコちゃんの気持ちにフォーカスできた。怒ることができない人はどうしたらいいのか。自分にも悪いところがあると思っているからこそ、怒れない。そういう人が、抱え込んで、自分を悪だと思ってしまう。どうしたらいいんだろう。
映画を観た人で、漫画をよんでいない人は、ぜひ読んでほしい。映画ではつかみきれないことがいっぱいある。そして、漫画を読んだら、また映画を観てほしい。こういう映画化ものは、監督が何をみて、何を感じ、何を限られた中で伝えたいのかを感じられるというのが、一つのポイントなんだなと初めて思った。