まっつん

ウィッチのまっつんのレビュー・感想・評価

ウィッチ(2015年製作の映画)
4.4
なんやこれ!めっちゃおもろいやんけ!オカルトホラーということで非常に丁寧な積み重ねによる恐怖にじわじわと蝕まれる傑作でした。

「魔女」というとまず思い浮かばれるのは1692年に起きた「セイラム魔女裁判」です。ニューイングランドのマサチューセッツ州セイラム村で起きた集団ヒストリーによるジェノサイドです。200名以上の女性が魔女として告発され、そのうち19名が処刑、1名が拷問中に圧死しました。「セイラム魔女裁判」を巡るキリスト教の奇妙な論理構造は「魔女は実際にいる」ということを証明してしまいました。正確には「魔女はいる」と思う人達の「魔女への恐怖」が「魔女の存在」を担保したのです。

本作は「セイラム魔女裁判」からの大量の引用によって成り立っている作品です。そして「魔女がいるかどうか」というより「魔女の存在を信じていた人がいた」という事が非常に重要なポイントです。それこそが魔女の存在を証明するからです。したがって本作は「魔女が起こしたと思い込んでいる怪事件」を描いてはおらず、明らかに魔女は存在するものとして描かれています。

登場する主人公一家は清教徒なんですがまぁ本当にキリスト教(てか宗教全般)というのはクソだなと思います笑。彼らはいるはずもない神を信じ、理性で人間的な感情を押し殺して生きている。さらに最悪なことにそれらの宗教的概念は現実の出来事よりも遥か上位に位置しているのです。プラス一家を取り巻く状況も相まって「金がない」とか「腹が減った」などといった現実問題に対して「神が与えた試練だ」などと言う戯言をほざく以外に解決策を見出せないのです。特に長女トマシンの抑圧され具合は半端ではなく、彼女は家族が抱える宗教的な欺瞞を薄々勘付いているわけです。そしてラストで彼女の抑圧された孤独な魂は悪魔によって救済されます。悪魔がトマシンの耳元で「世界を見せてやろう」と囁いた時、彼女はキリスト教による下らない欺瞞から解放されるわけです。悪魔は人間性と個人主義を肯定します。それはキリスト教が抑圧しようとしたことそのものです。トマシンは悪魔による魂の救済によって、キリスト教世界ではあり得なかったはずの「世界」と「自由」を手に入れるという非常に胸のすく映画だったと思います。