SatoshiFujiwara

パターソンのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

パターソン(2016年製作の映画)
4.6
文句なく素晴らしい、と言うか素晴らし過ぎる。今さらジャームッシュでもあるまいなどといくらかでも考えた己の不明を恥じる以外にない。

観ながらモートン・フェルドマンの音楽を思い出していたが、一見同じことの繰り返しのように聴こえてその実微細な強弱の変化やモアレ効果が施され、聴く者はついつい退屈もせずに聴き入ってしまう。切り詰めて限定された素材だからこそ卓越した料理人の手に掛かればそこに無限の差異と豊かさを導入できる。選択肢が多ければ良いというものでもない。

本作主人公のパターソン。毎朝ほぼ同じ時間に目が覚め、妻にキスをして朝食に質素なシリアルを食し、同じ道で職場に向かい、その仕事たるバス運転手としての業務が始まる前のほんの短い時間にノートに手書きで詩を書き付ける。いつも浮かぬ顔をした同僚(毎日「最悪だ」と言い募る)との短いやり取り。その職務中、聞こえるともなく聞こえて来る乗客の他愛のない話に思わず口元がほころぶ。仕事の後は愛犬を散歩させ途中馴染みのバーで一杯引っ掛けながら馴染みのマスターや客と会話する。

文字に書けば概ねそれだけの描写を月曜から翌週の月曜まで律儀に画面にテロップ付で曜日毎に映し出すのだが、しかし人が「毎日同じことの繰り返しだ」と言ったとして、当たり前だが全てが同じ筈もない。パターソンは毎朝6時台に目が覚めるにせよ、その時間は6時10分だったり25分だったりする訳で、妻の寝相も違えばある日などはいるはずの妻が不在なので観る方は一瞬不安にかられたりもするが、実はいつもより早くベッドを出てその日のマーケットに出すお菓子を作っていたりもする。仕事からの帰りには詩を詠む女の子に偶然遭遇する日もあり、そこでエミリー・ディキンソンは好き? などと尋ねられもするし、バーではマスターのカミさんがいきなり乗り込んで来て金返せ、などとマスターに迫ったりもする。

神は細部に宿る。われわれはともするとその「神」に気付いていないだけだ。神の存在を感知する/させるために本作でジャームッシュは「詩」を用いた。詩は世界の神秘を顕在化させるが、それで全てが腑に落ちる訳ではない。腑に落ちないからこそ、そこで人は世界のこの上ない豊かさに改めて感謝する。

本作の機微やら味わいは実に言葉にしにくいが、宝石のような作品には違いない。最後に登場する永瀬正敏がふと思い出した、とでも言うように白紙のノートをパターソンにプレゼントする(普段詩を書き付ける大切なノートを愛犬にバラバラに食いちぎられたことの反転)。「白いノートには無限の可能性がある」。ここで思わず落涙してしまった。
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