玉葱

ノー・ホーム・ムーヴィーの玉葱のレビュー・感想・評価

ノー・ホーム・ムーヴィー(2015年製作の映画)
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色んな人のドキュメンタリーを撮っていると、アケルマンは母に話す。
その中でも最も母のことを撮影しているという。

最も深いコミュニケーションを求める相手が母親なのに、そして実際に互いにコミュニケーションをたくさんとっているはずなのに、母親は「なにも話してくれない」という。

どれほど語り尽くしても、なにも語らなくても、結局は同じことなのかもしれない。唐突に差し込まれる砂漠の映像や水面に映るアケルマンの影は、不明瞭で茫漠で、時々CGと見紛うほどに幻想的になる。転じて、家のなかをただ切り取った固定ショットの中で行われる会話は、噂話や身の上話、他愛のない思い出で、なにもかも普通といえば普通である。

その普通といえる日常が、アケルマンにとってはNO HOMEだったんだろう。
母親を何よりも求め、母親に対してどれだけ優しさをもってアクションしても、返ってくるのは変わらない日常。そして、止まることのない老い…。

母親とアケルマンが互いに、誰よりも深い関係を求めていたにも関わらず、肝心の"何を伝えたいのか"は常に曖昧というか、存在していなかったのではないかと思う。

もしかしたら、"何を伝えたいのか"なんてなくてよかったのに、深い関係を求めていたからこそ、本来的に存在しない"何を"の部分を求め続けるあまりに、どうしようもない寂寥に襲われてしまうのかも。

NO HOME、本来的に、居場所なんてないのだろうか
いくら語り尽くそうとしても、なにも語らなくても、
あるいは生きていても死んでいても、
なにも伝えられないし、なにも伝わってこないのか


どうしたらいい?


深い関係を求めずに、不感症になればいい?
玉葱

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