玉葱

イディオッツの玉葱のネタバレレビュー・内容・結末

イディオッツ(1998年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

健常者でも、
いわゆる社交的な会話やジェスチャーによるコミュニケーションに、いつまでたっても慣れない人は一定数いると思う。


そういう、健常者なのに
学校や会社や飲み会、どこに行っても、心から話せる友達をひとりもつくれない人は、冗談半分に社会不適合者と言われたりもする。

あるいは、器用な人であれば、うまく話すことができても、本当に信頼できる人間関係をひとつもつくれないケースもあると思う。

グループを抜けた後も障がい者として振る舞ったカレンは、
夫や、実の妹たちと、つまり血の繋がった、この世で一番親密なはずの家族と、信頼関係を築けていなかった。
(それが言葉ではなく、無言の演技で表現されているのが素晴らしかった)

それで、スザンヌ?がそれを見て、
彼女の肩をだいて
彼女の家族にはなにもいわず
「帰ろう」という。



冗談ではなく、
町のなかで僕も気がついたら障がい者のように振る舞うときがある。
行きたくないパーティーの場で、
帰るに帰れないときとかに、
話しかけられても表情を変えることもできず、声も出せず、メニュー表を10往復くらいペラペラとめくり続ける。
周りの人が異変に気づいて、近寄らなくなったり、イライラしてるのがわかる。
そのあとも、静かに座り続け、うなだれてテーブルに倒れたまま、帰ることができるのを待つ。
(それは、それが僕ができる全力のコミュニケーションだから…)


こんな
気持ちを
振る舞いを
抱き締めて
一緒に帰ろうって
言ってくれる人がいたらいいな



だからもしかしたら僕は
障がい者のように振る舞い続けたい
家族も友達も恋人も要らないから
健常者だけど障がい者のような僕と
一緒にいてくれる存在をつくるために
玉葱

玉葱