白眉ちゃん

透明人間の白眉ちゃんのレビュー・感想・評価

透明人間(2019年製作の映画)
4.0
『「見える見えない」の恐怖であり、「どう見えたかどう聞こえたか」の恐怖でもある』

 従来の透明人間映画が透明化した本人を主人公に据えていたのに対し、今作は透明人間に付け狙われる被害者を主人公とする。故に今作の透明人間はポール・バーホーベンの『インビジブル』('00)のような私怨によるストーカー気質な造形をしていて、「透明人間になったから世界征服してやる!」と息巻いた元ネタの『透明人間』('33)よりはかなり現実的かつ現代的な悪役になっている。そんな透明人間の正体が彼氏のDV男だと信じて疑わないセシリアがどんどん精神的に追い詰めれていく姿が描かれる。

 早い段階から透明人間はセシリアにその存在を認識させる。しかし、周囲の人々の前では痕跡さえも表さないので、彼女はDV被害の恐怖心に囚われているとして孤立していく。ここらから今作が見え難い犯罪(ストーカーや痴漢)の被害女性が周囲の理解を得られず、パラノイアに陥っていると逆に責められていく心理的虐待の側面も見えてくる。そう仕向ける透明人間の行動はガスライティングであり、『ガス燈』('44)を彷彿とさせる。実際、オマージュするかのように透明人間が屋根裏に潜んでいた形跡が示される。ただ、透明人間が脚立を使って屋根裏に行ってたのかと気にはなる部分はあるが‥。

 終盤に差し掛かり、透明人間の正体が彼氏の兄であると発覚する。確かに遺産を横取りされた恨みを動機とすることなどは理解がいく。しかし、それさえも彼氏による遺書を使った誘導だと主張するセシリア。彼女はそれを立証すべく彼氏の邸宅に乗り込むが、光学スーツによる透明化を逆手にとって彼氏を始末する。待機していた警官のジェームズに犯行を指摘されるも「(会話を傍受していて)どう聞こえた?」と返す。終始、彼女の主張は偏執者の被害妄想として周囲の人々に「聞こえていた」だけに、この切り返しのオチは痛快である。ついつい透明人間ばかり注視してしまいがちだが、彼女の姿がどう見られていたか、彼女の主張がどう聞かれていたか、周囲の不理解の恐怖を巧みに劇化している。

 「巧みに」と書いたが、気になる部分は多々ある。序盤のキッチンでのボヤ騒ぎの最中、ナイフが消失する。このナイフは後にセシリアの妹殺害の濡れ衣に利用される。だが、このナイフもわざわざ屋根裏にて保管されている。また、見落としたのかもしれないがセシリアを彼氏の邸宅まで連れて行った都合の良いドライバーは誰だったのか?どうして軟禁されていた邸宅のオートロックの暗証番号を当然のように彼女が知っているのか?貴重な証拠となる光学スーツを持ち出すことよりも隠すことを選択する不自然な心理(ラストへの伏線はりの拙さ)も気にはなる。あと取り残された犬はお腹を空かせてはいなかっただろうか。

 もし、これらの脚本の粗さや不整合が意図的なものだと仮定して、被害女性の虚言が混じっていると考えるのは流石に邪推だろうか?事件の真相を究明することよりも彼氏の「サプライズ」の一言を観客がどう聞こえたかを寄る辺とするように「(この事件が)どう視えたか、どう聞こえたか」に着地するあたり、彼女のバイアスのかかった情報が入り込んでいる可能性は否定できない気もする。だが過去の『Saw』シリーズも『アップグレード』('18)もエピソードのつぎはぎ感はあったので、そういう脚本書きだと考える方が自然かもしれない。

 余談になるが、透明人間のメタファーとしてはジョン・カーペンターの『透明人間』('92)の方が好みだ。しかし、古臭い題材をスリリングかつ現代的な問題提起で更新されている。
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