toumei

オールド・ジョイのtoumeiのネタバレレビュー・内容・結末

オールド・ジョイ(2006年製作の映画)
2.5

このレビューはネタバレを含みます

長い時間と労力をかけて苦労して街の喧騒を離れて、公私の大小の問題から抜け出す。そこでやっとのことで少しの時間安心できる。笑顔になれる。休める。
なのにまたすぐ戻らなければならなくて、帰った先では相変わらず公私の大小の問題が待っている。
現代では、安心できる時間を自分で自分に与える義務が課されていると感じている。人はその義務を果たせているからこそ、他者に迷惑をかけず、むしろ優しく接する余裕が生めるのだと思う。それができずに、自分の問題からくるイライラを他者にぶつける幼い大人もとても多い。けどそこまで追い込まれながらやっていかなきゃいけないのが「生活」だというのは、あまりにも酷な時代だとも思う。
その生活を変える手段は実際には色々あるのに、多くの人が疲れて思考停止して諦めてしまっている気がする。ラジオが言うように、社会全体がそういうムードになっているようにも見える。これが2006年の映画だから、残念だけどもう20年くらいずっと、この感じが続いてるんだな。

悲しみが常に個々人の周囲をうろついているのは、使い古してもうダメになってしまった喜びをいつまでも握りしめているからなのだろうか。
たしかにそうかもなと思いつつも、そんなのってやっぱり悲しいと思う。あなたはおかしくなんかない、大丈夫、って抱きしめてくれていたとしても。それって救いの言葉になるのかな?ならなくないかな。
喜びを保つのはなぜかとても難しい。持っているうちに勝手にいつのまにか古くなって、悲しみになってしまうのか?それを大事に握ったままいることすらも許されないのかな?本当にそれは、今ではどうすることもできないものなのかな?
そんなことないんじゃない?と私はまだ抗いたい気がする。

この映画の言いたいことは掴みきれなかったかもしれないけれど、old joy、つまり日常にある燃えかすのような悲しみを描いた話だと私は受け取った。
癒しを求めて観たけどちょっと違ったみたい。期待通りの森の温泉・自然音・静けさに辿り着けたわりに、大きなやるせなさが残った。
でも、カールがまた誘ってくれるならいいのかな?うーん、そうとも思えないかな。彼に対して、主人公と同じように私も心の壁を張ってしまったから。悪い人ではないのにな。なぜだろう、心を開けない。彼のような生活を日常にすることはできないと思ってしまっているからだろうか。主人公の目線からは、なんとなく気持ち悪くすら感じてしまう。

良い映画だと思うし色々考えられてよかったけど、モヤモヤの表現の仕方が個人的にあまり好みじゃなかった。カールをあんな風に気持ち悪く表現しなくてもいいのに。

あと余談だけど、温泉で酒を飲むのは危ないからやめなよ!と気になってしょうがなかった。日本人なので。笑

……………………
Carl「俺はとても動揺していたし、落ち込んでいた。すると彼女は俺に腕を回して言ったんだ。"大丈夫。あなたは大丈夫よ。悲しみは、使い古した喜びなのよ"」
toumei

toumei