カラン

エル ELLEのカランのレビュー・感想・評価

エル ELLE(2016年製作の映画)
4.5
ハードなPS4用のゲームを制作する会社の中年の経営者・ミシェル(Michèle、或いはmichELLE)の父親は大量殺人犯で、彼が終身刑となった時、彼女はまだ幼かった。マスコミや警察の好奇の目と激しい追及に遭い、いまだにテレビの犯罪の特番が放映されると、残虐な父の姿とともに自分の姿も画面に映る。それでもビジネスパーソンとして成功し、裕福な生活を送っていた。ある日、優雅にモーツァルトを聴いていると、黒装束の目出し帽の男が窓から闖入して、、、

☆適応

動物も人も与えられた環境に適応して生き延びる方法が重要である。生とはサバイバルである。

①『ピアニスト』 
『エル』と同様にイザベル・ユペールが主演していたミヒャエル・ハネケ監督の『ピアニスト』(2001)もまた適応とサバイバルとしての性が問題になっていた映画であった。陰唇を剃刀で切開する自傷や、ドライブインシアターで車列の間での排尿や、若い男とのSM的な性関係。こうした異様な行動は、1つのベッドで共に寝て、陰部を見てほしいと頼みすらする母親との関係を巡って、展開されていた。

『ピアニスト』はプロのコンサートピアノ奏者であり、ウィーン音楽院の教官の女という設定であった。プロがピアノを弾くという機械的な運動を機械的に映し出し、目が覚めるような白色のタイルが織りなす画一的なデザインのトイレで血なまぐさい性を展開する。ハイソなものを地として、強烈な性の衝動を図として描く古典的な作戦である。ハネケのこうした芸術的な挑戦はあまり理解されていないようで、「胸糞」とかいうトイレの落書き的な次元の言葉は映画の威力を体験できなかったということを示すだろう。

②異常、全員
少しトレースするだけでも、『エル』がその15年前の『ピアニスト』の強い影響下にあるのはお分かりいただけるであろうが、『エル』もまたサバイバルとしての性が問題となっている。タイトルは「彼女」なのだから、主人公ミシェルに焦点を絞っているようにも思えるし、『ピアニスト』が主人公の幻想的で倒錯的な防衛機制の発露に絞っていたのと同じなのだと、ますます思いを強くするであろうが、それは間違いである。ここが本作の面白ポイントなので、よく理解していただきたいのだが、『エル』では倒錯的適応は映画の全ての人物に共通する問題である。だから、本作は全員が異常者、よく言っても、変人、なのである。

③百花繚乱 
例えば、ミシェルの隣人として、若夫婦が出てくる。夫のパトリック(ロラン・ラフィット)は銀行員であるが、家宅侵入と暴行とレイプを繰り返すし、彼にはそうした暴力的な性的幻想の維持が、必要である、のだと劇中で語る。彼の美人妻のレベッカ(ヴィルジニー・エフィラ)は、敬虔なカトリックで、大きな聖像を何体も庭に据えて祈り、サンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼に出かけるレベルのキリスト者である。しかし、その夫の陰茎が割礼されていることが、暴行事件の進展から分かる。

妻は、もう1度言うが、キリスト者である。そしてこの妻は夫の犯罪行為を知っているので、ミシェルに対して夫に応じてくれて「ありがとう」と感謝するし、変態夫がミシェルに接近するのを自ら勧めていた節すらある。また、ミシェルは友人で共同経営者のアンナの夫ロベールの性欲のはけ口になるし、アンナを騙していることにうんざりして、肉体関係を解消しても、ロベールがどうしてもと言うならと、友人として、自分の開口部を使わせてやる。死体のような表情で。

本作『エル』は、映画の全編で色とりどりの屈折した欲望がミシェルに接続するように描かれている。欲望のインターフェースとして振る舞うのが彼女なりの適応なのである。だから、潜伏している無数の欲望を掘り当てて、それを映画として描くことがポール・バーホーベンの課題であり、衝動的で、姿を変えて、すぐに見えなくなってしまう欲望の運命を捉えるのは極めて困難な作業であろうが、ルドガー・ハウアー以後のものしか観ていないが、公開時に78歳であったポール・バーホーベン屈指の傑作であると思う。

本作は、激しくスキャンダラスなシーンが多いが、その衝動の線を辿ると、欲望が相互に接続しては解消されて、次に繋がっていくのが分かる。つまり、苦しい状況を生き抜こうとする人たちの映画である。苦痛があまりに激しいので、モチーフや描写が激しいのである。友人の夫に死体の無表情で股を貸してやる、そして今後はもう股は貸さないがそれでも友人であると、すました顔で言うシーンは適応としてのSMを如術に表す。その友人が不倫夫を放出したから、「しばらく一緒に住まない?」とその友人からのレズビアン的適応の試みの提案に対しては、レズビアンではないにも関わらず、ミシェルは笑顔で応じる。このラストシーンは、蠢き接続し合う欲望をずっと観てきた鑑賞者ならば、目頭を熱くさせるものであろう。


☆画面 

2016年公開のDVDにしては、やけに輪郭が滲んでおり、鮮烈さや色彩を覆うかのように画面が曇っている。本作はデジタル撮影である。次作の『ベネディッタ』(2021)とはカメラマンも使用しているカメラも異なるし、クリアネスがまったく違う。デジタル撮影というのは一般にアナログ撮影よりもクリアネスを追求しやすい。しかし、これは私見だが、クリアネスを追求するとデジタル撮影は家電量販店のテレビコーナーにずらっと映し出されたデモ画面のように、精細で安っぽく、映画館の映画的でなくなる。そこで、デジタル撮影はわざわざクリアネスを落とす、画面をぼかす、という方向で調整をかけているように思われる。この調整をしくじると、汚く、なる。

ジェームズ・ワン監督の『マリグナント』(2021)はARRIのカメラでデジタル撮影された作品であるが、先日、画面の「汚さ」のために、途中で視聴をやめた。『ベネディッタ』は汚くない。しかしいかにもデジタルっぽいクリアネスで安っぽい。本作『エル』は「汚ない」わけではない。しかしフォーカスが甘く、呆けている。

今3作品を俎上に載せたが、このような問題は、撮影の問題であったのか、製作時のポスプロの問題であるのかは分からない。映画館でも望ましくない画質であったのかもしれないし、そうではなくホームユースにおいて望ましくないのかもしれない。実は、DVD製作時の問題かもしれない、はたまた私のシステムの調整不足かもしれない。確かに最近はさぼっている。私の予想を述べると、ポスプロ時の調整が不手際なのではないかと思う。とにかく、美しくない、のは確かだ。音質は普通か。


レンタルDVD。
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