平久保百年子

菊とギロチンの平久保百年子のレビュー・感想・評価

菊とギロチン(2016年製作の映画)
4.5
悲しみ、トゥーヤング。

男ばかりのアナキストのギロチン社の面々は、義憤を暴力によって理想に繋げようとして失敗する。それは若さゆえの生き急がざるを得ない激しい熱。

ブルジョアからカツアゲ。権力の象徴である人物の身内を襲撃。馬賊から爆弾を買うためになけなしの懐を叩いて朝鮮半島へ。仲間を助けるためにツルハシを持って乗り込む(多勢に無勢)。中濱鐡の行動力の凄さに感心してしまうが、惜しいことに優秀な参謀や諜報部隊がいなかったために、その計画はことごとく失敗する。カツアゲだけはうまく行っていたようだったが、革命資金としての運用に暗かった。

大正末期。インターネットもなければグーグル先生もいない上に、思想の取り締まりなどという頭のおかしい時代に、有用な情報を得られず全て己の知識だけが頼りの手探りの革命がどうなるかは想像に難くない。それはのちに絞首台の露と消える古田大次郎のセリフ「何やったってダメなんだよ!」「ダメなものはダメなんだよ!」という切実な叫びと重なる。

何かを成し遂げるのに、一朝一夕にはできないし、一人でもできない。
何かすぐに見える形で結果を出したがるのは若い人の悪い癖だが、その若さと情熱がなければ世の中を変えていくことはできない。

ギロチン社と対比する形で、夫の暴力から逃げて女相撲の一座に入った「花菊」と在日朝鮮人であり遊女だった「十勝川」の生き様も胸を打つ。

女相撲に入ってきた女たちはみんな、なんらかの暴力から逃げてきた者たちで、言葉こそ荒っぽいが、お互いがそのことをわかっているから優しい。
女が生きていくのに、男に媚を売るか魂を売るかしかなかった(一部の運のいい人を除く)時代に、相撲で生きていくことを選んだ彼女たちは逞しい。
しかし、その逞しさすらも目障りだと潰しにかかる暴力に、彼女たちはなすすべがない。暴力を正当化するために言いがかりをつけて十勝川を引きずっていく自警団の連中のような面々が実際にいたことが無念でならない。

いつの世も弱いものへ向ける暴力は手っ取り早く、効果も絶大だ。だから使う人がちっとも減らない。

だけど、世の中を良い方に変えてきたのは、その暴力の理不尽さに耐えてサバイブしてきた人たちなんですよ。弱いとされてきた人たちが、生き抜いて、討ち死にしていった大勢の仲間の魂を大切に持ち続けていたから、変えて来れたんです。それは一抹の希望というやつなのかもしれないけど、あると無いとじゃ全然違う。

「思想教育」とか「洗脳」は、確かに100年くらいは効果あるでしょう。でもそれは魂への暴力でしかない。暴力で人は変われない。
希望とは目に見える形でではなく、それこそ草木が大地を覆い尽くすように、何千年もかけて成し得ていくための何かですよ。空条徐倫が未来に託したエンポリオ、プッチ神父が激しく恐れたエンポリオ、みたいな・・・・

「差別のない世界で自由に生きる」暴力に虐げられてきた人間たちの悲願。それは今も途切れることなく続いている。少しずつ、少しずつ、希望の光を集めながら太く、大きく成長しているんです。そのことを改めて痛感した一作。