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ラ・ピローグ(原題)/小舟
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『ラ・ピローグ(原題)/小舟』に投稿された感想・評価

3.7
本作は2012年のセネガルの映画で監督はムッサ・トゥーレ。エジプトや南アフリカ共和国等いくつかの国を除いて、日本で公開されるアフリカの映画はほとんどない。ハリウッド映画のロケ地などで登場することはあってもセネガルの映画を観る機会はあまり多くないはずだ。しかし映画史的には『太陽を売った女』のジブリル・ジオップ・マンベティ監督や、アフリカ映画の父と呼ばれる『チェド』のセンベーヌ・ウスマン監督がいるので、決して映画不毛地帯ではない。

本作の舞台はダカール郊外の漁村だ。冒頭、筋骨隆々でほぼ裸の男2人がレスリングをしている。ただ戦うだけではなく、試合前に神事のような儀式を行い、観客たちは戦いを待ちわび歌い踊っている。長い伝統を受け継いでいると思われるこのスポーツは、日本における相撲のような存在ではなかろうか。
この試合会場の観客の中で妙な目配せをしている男がいて、その男が漁師のバイライに移民の輸送の仕事を持ちかけてくる。もちろん不法移民で危険なため、バイライもはじめは断るが、家族を養わなければならないので、船長になることを承諾する。
出発前夜、バイライと妻キネは寝室にいて、ベッドに座っているバイライは「こっちにおいで」と妻を誘う。この時の衣装は、バイライはズボンだけ履いていて上半身裸、妻は両肩が出ている寝具を身につけている。ベッドに寄り添って座る2人をカメラは、そこからずっと肩から上だけ映すように撮られている。向かい合い手を取り合う2人はもちろん衣装を着ているのだけれど、画面上は肩から上なので、そこに衣服は一切存在しない。そして2人はお互いの顔や首、肩を舐めるように手で触り合うのだ。これがこの民族特有のおやすみの挨拶とは到底考えられない。性的な愛撫を可能な限りの上品さで表現しているのだろう。この上品なカメラは、そのままベッドに倒れていく2人を追うような野暮なことはせず、それまでは見えなかった壁に掛けられた2人の笑顔の写真を映して、カットは翌日へと変わるのだ。この映画のメインはあくまでこれ以降の航海の場面なので、このシーンいついて多くを語る必要など無いのは百も承知なのだが、この上品なエロスは規制の厳しかった頃の米国映画を観ているようで、忘れがたい魅力がある。

家を出るバイライに妻は「息子にシャツを買うのを忘れないでね」であるとか「バッグ濡らさないでね」といった言葉をかける。命を賭けた航海になろうとは考えもしていない。
バイライが操るのは漁や水上移動に使う伝統的な丸木舟で、これが題名のピローグだ。この丸木舟に乗って30人(こっそり隠れて乗り込んでいた女性を合わせて31人)が目指すのはスペインだが、そんなに楽な船旅ではない。フラニ族やフータ族、ルブー族といった異なった民族が乗り合わせているので言葉も違っていて、コミュニケーションもままならない。宗教も違うので細長い船内の手前数人はお祈りをしている中、奥の人たちはガツガツと食事をするといったように、見えない境界が船内にも存在している。
監督自身が『マスター・アンド・コマンダー(2003)』というラッセル・クロウ主演の米国海洋アドベンチャー映画を参考にし、本作の俳優たちに鑑賞させたというぐらいだから、クライマックスの嵐のシーンは圧巻で本当によく撮れている。狭く息苦しい状況で、大雨や高波に襲われ、死者も出る。この迫力満点のシーンの前に、この映画で最も恐ろしいシーンがある。自分たちの丸木舟と同じような船が遠くの海上で漂っているのを見つける。向うの船の乗組員たちは、「5日もこのままの状態で死にそうだから助けてくれ」と叫んでいる。向うの船も不法移民の移送船なのだろう。すると助けようと言う者や、見捨てようと言う者で意見が分かれる。正規の船舶ではない彼らにとって海上のルールや法律など存在せず、倫理観や道徳観、自分たちの安全といったものを天秤にかけて判断することになるのだ。船を寄せて助けようとしない事に業を煮やして若い男は海に飛び込むが、彼は海を見るのも初めてだったので泳ぐことなどできず、その場で溺れてしまう。溺れた男を引き上げるだけで精一杯で、向うの船を助けることなく丸木舟は進んでいく。向うの船の人たちはこちらに来ようと何人も海に飛び込むが、きっと彼らも泳ぐことはできないのだ。観る者にとってこういった心理的な恐怖は、嵐のようなスペクタクルよりも後を引く。
食料、飲み水は少なくなってきていて、ガソリンも陸地に着けるほど残っていない。エンジンも不調で突然止まる事がある。絶望し夜の間に身投げする者まで現れる。初めは、ミュージシャンになるとか、イギリスでサッカー選手になるとか、失った片足の義足を付けるといった夢や希望を各々持っていたが、生き残った者でも間違いなく全員渡航したことを後悔しただろう。

本作のムッサ・トゥーレ監督は劇映画だけでなくドキュメンタリー映画も撮っている。しかし本作の丸木舟のような限定された空間に強い執着もっている。ドキュメンタリー作品『5×5』では一人の男と5人の妻、それぞれ5人ずつの子供を描いているが、ここでの空間は男の家である。あるいは劇映画『TGV』における列車の車両もそう言えるだろう。
本作は不法移民のビジネスについて描かれていて、航海途中で亡くなった多くの人たちに捧げられているのだが、政治的なメッセージも見てとれる。船内で男たちが談笑していて、「お前、政治家みたいな言い方だな」と言われるシーンがある。そう言われたお調子者のこの男は立ち上がって、政治家というのか独裁者風というのかといった口調で「アフリカ人の俺が名を残す。自分の力で。失せやがれ」と演説の真似をする。これは映画の中の人物に台詞として言わせているのだが、2007年にセネガルでサルコジが行った「アフリカの悲劇は、人類の歴史の中でいまだ、大きな業績を残していないことである」という演説に対するものだ。公式の場で発言できないことを、映画の中でこっそり力強く訴える映画作家のテクニックだ。もちろんそんなことを知らなくてもこの映画はめっぽう面白い。
ボロボロになって帰国したバイライは市場でFCバルセロナのゲームシャツを買って家に帰る。バッグはきっとずぶ濡れになってしまったけど、息子との約束は果たしたのだ。