前作から2年が経った。マーベル・シネマティック・ユニバースではアベンジャーズが宇宙最凶のヴィランと戦い、「暗い」と評判のDCユニバースはジャスティスリーグを結成し、X-Menではローガンが死んだ。そしてデッドプールは………
変わらずアホだった。ライアン・レイノルズもアホだった。相変わらずバカやって、クソがつくほどの真面目な脚本とのギャップから生まれるヒーロー映画に中指立てるヒーロー映画は不変だった。
MARVELやDCにヒーロー映画はシリーズ物として確立しており、シリーズ物を真面目に1作目から見る人には入り込む隙(暇・時間)がないのかもしれないがデッドプールはアホなおかげで入り込む隙しかない。このデッドプール2を共に鑑賞した前作を未見かつ、ヒーロー映画に興味が微塵もない人がデッドプール2を面白い・楽しいとの感想を残していたのが1番嬉しかった。
アベンジャーズが盛り上がれば盛り上がるほど、周りとの温度差を感じ寂しくなった。共にマーベル・シネマティック・ユニバースを追ってきた友人たちが次第に少なくなっていった。たまに会ったときに熱を持ってアベンジャーズの良さを語ったときの温度差は以前と比べものにならなかったのだ。
何だか寂しい。ヒーロー映画が盛り上がれば盛り上がるほど、そう感じるようになった。
今回このデッドプール2も、始まる前から孤独を感じつつヒーロー映画に微塵も興味が無いが何故かデッドプールに興味を持ったツレと鑑賞した。あぁ今回も寂しいのかな、まぁしょうがないよね。という心持ち。
しかし鑑賞後、熱を持っていたのは相方の方だった。「わからないネタとか、みんなが何で笑ってたかわからんとこ多かったけど、トータルして楽しかった!」だそうだ。
「わからんとこ多かったけど、トータルして楽しかった」。それがデッドプールだ。あくまで自己中で、観客を置き去りにする。しかし、それが面白い。映画制作陣は観客のことを1番に考えているが、映画内のキャラは観客を置き去りにするというギャップ。そう、デッドプールが起こす現実と空想のギャップがこの作品の1番キモだ。ファミリー映画という真面目な脚本とデッドプールというふざけたキャラのギャップといい、この差がとても良い。作りこんで笑いを生み出しているはずなのに、まるで自然と笑いを生み出しているかのように感じる。
スーパーに真面目な現実とおバカな空想の融合がデッドプールをデッドプールたらしめる。その結果、「わからんとこ多かったけど、トータルして楽しかった」映画になるのだろう。
ライアン・レイノルズの黒歴史をぶち壊したスーパーなおバカ映画。