YokoGoto

淵に立つのYokoGotoのレビュー・感想・評価

淵に立つ(2016年製作の映画)
4.8
ーサスペンスでもありヒューマンでもあり哲学でもある、極上邦画ー

すごい。すごすぎる。

何がすごいのかというと、このシナリオで、この企画で、このキャスティングで、映画を作ろうと考えた監督しかりプロデューサーしかり。邦画というものへの情熱がすごい。

この物語の世界観を、どこまで思い描いた上で映像化したのだろうか?
それとも、出来上がったシナリオの想像を超える世界観が、結果的に偶然に、ここまで極上に仕上がったのか。

いずれにせよ、監督ならびに役者、この映画に関わったすべての人びとに、感謝の念とあらゆる賛辞をささげたい。(映画館で見逃してしまって申し訳ない。映画館で観たかった。映画館で見たら、多分満点つけた。)

『人間を描くということは、崖の淵に立って暗闇を覗き込むような行為だと。闇に目をこらすためには少しでも崖の際に立たないといけないけど、しかし自分自身が闇のなかに落ちてしまっては元も子もない。表現とは、ヒトの心の闇にできるだけ近づきながら、しかしギリギリのところで作家自身が踏みとどまる理性を持ちえたときに、初めて成立するもの』

タイトル『淵に立つ』に込めた思いを、監督がこのように述べている。

まさにこれ。

普段、何気なく生きている世界の中で、淵に立って人間の暗闇を見る。
その風景の恐ろしさが、リアリティをもって、観る人の心に覆いかぶさる。
その描写は、サスペンスのようでもあり、極上ヒューマンでもあり、人間哲学でもあるのである。

すべては、極上のシナリオと小気味良い画面運びで表現され、そこに自由に演じる役者の極上な芝居が肉付けをする。

映画として、必要なものがすべて揃っていると思う。

筒井真理子さん、浅野忠信さん、古舘寛治さんの3人の不協和音は、計算されたものというよりも、現場で自然に作り上げられた世界観のように見える。
つまりは、『作られたリアリティ』ではなく、そこに見えるものは『自然発生的に生まれたリアリティ』であり、映画の中に、全ての観客を引きずり込む圧倒的なリアリズムである。そこに身震いがした。

特に、筒井真理子さんの芝居はすごいものがある。
後半は体重を13kgも増やし、役作りに挑んだらしいが、前半と後半の演じ分けは、もはや演技という領域を超え、役そのものに憑依したようにみえる。

浅野忠信さんも、最近の演技では、一番いいのではないかと思う。

白いワイシャツと黒いパンツ姿の浅野忠信さんは、時に『牧師』のように見え、時に『悪魔』のようにも見える。この二面性こそ人間の本質であり、そんな侵入者を受け入れてしまう人間の判断力の甘さにも恐怖を感じた。

これまで、様々な人間ドラマに書き尽くされてきた『罪と罰』。
しかし、これほどまでに不気味で、身につまされる『罪と罰』の表現があっていいのだろうか?という衝撃に鳥肌がたった。

何に対する罪で、何に対する罰なのか。
人は簡単に、存在の見えない罪と罰に翻弄され、簡単に道を見失っていく。その存在が見えなければ見えないほど不気味であり、苦しむのである。

そんな哲学的な部分が、カンヌで評価された理由かもしれない。

他者との関わりの中でしか生きられない、もろく弱い孤独な生き物が『人間』。

改めて、その最小単位である家族というものを見つめなおす事のできる物語であるが、背すじが凍るほどの暗闇を、この映画を通し『淵に立って見る』という残酷さは、邦画史に残る一本と言ってもいいと思う。
YokoGoto

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