にゃみー

ブレードランナー 2049のにゃみーのレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.0
人間を人間たらしめるものは何か。レプリカントと人間は何が違うか。ブレードランナーが前作から投げかけている問いだが、この映画は、もっとパーソナルな問題を提起しているように感じた。

自分は何者か?何の為に産まれたか?普遍的な問いだ。
この考えの先は、こうだ。「自分は、特別な存在かもしれない」自分への期待。そして、次に行き着くのは「他の人と何も変わらない。退屈な自分」何者でも無い自分だ。大抵は、無限ループする。

まだ誕生して間もないレプリカント達は、人間が慣れてしまった感覚も敏感に察知し、真剣に、純粋に生きようとする。人間も、かつては、レプリカントのように己の存在意義を真剣に考え、生きていたのではないか?つまり、誕生して数千年を生きていく内に、己に対する疑問が薄らいでいるのではないか。レプリカントの行動から人間が学ぶべき点は多い。

他人に対しても同じだ。興味が無くなってしまった。仕方ない。自分の欲望を満たすのに他人は不要だ。自分の思い通りにならない厄介なお隣さんは無視し、欲望をなんでも叶えてくれるガジェット弄りに勤しむ。それは永遠に続く虚無の楽園。自分好みにカスタマイズした自分にとって有能なガジェットを誰かが目の前で、踏み潰して壊してくれでもしなければ、永遠に覚めることはない。

主人公Kが経験したことは、感覚的には、現実世界で、人間が経験することと大差ない。しかし、感覚が鈍感になった我々は、もはや感じてもいないかもしれない。

この映画は、ほとんどがレプリカントの行動を描いている。人物は整然としており、美しく儚い。しかし何か物足りない。なぜか?そこには、人間の愚かで混沌とした、言うならば人間味というものがないからだ。

大事なのは、「他の人と何も変わらない。退屈な自分」からどう行動するかだ。本当の自分を理解することに努め、自分の考えを以て行動するか否か。人間の世界で生きていく上で、人間を、自分を理解せずに、有意義な人生は送れない。感覚を研ぎ澄ませ。無限ループから抜け出したければ、自分の欲望を叶えてくれる便利グッズを今すぐぶち壊し、クソ面倒臭い隣人とお喋りしよう。自分の欲望に素直で、愚かで、狡猾な人間が、多種多様の考え方で構築する混沌としたこの世界。少なくとも退屈な世界ではない。その中で真剣に生きようとすれば、退屈な自分になるわけが無い。
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