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ブレードランナー 2049のTakeBtzのネタバレレビュー・内容・結末

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

「『ブレードランナー 2049』におけるセックス描写が、浮き彫りにする人間性について」

先に、書いておきます。

今回は『ブレードランナー 2049』という作品全体と言うより、そこで描かれたセックス描写から、この作品を読み解くような書き方になっています。


特に、下世話な話はしてませんが、苦手な方は読まない方が良いかもですし、ネタバレもありますからね〜。


さて、



人間とレプリカント(人造人間)の定義が曖昧になってしまった世界をこうも、我々の生活感の中で想像できる形にまで、創り上げたのには脱帽でした。

あらゆる作品に影響を与えた伝説的カルト映画だけあって、映像美もやはり素晴らしかったですが、僕がこの映画で、1番印象的で尚且つ見終わったあと考えさせられたのが、ホログラムであるAI人格であるジョイと、人造人間であるレプリカントの主人公、Kのセックスシーンです。

僕はこのシーンが、人間と、人形(レプリカント)と、その心や魂みたいなモノが、全てバラバラな状態なのに、そこに全部がまとまっているという印象で、言うなれば人間の複雑な心情や感覚や精神を、AI(感情)とレプリカント(行為)と人間(肉体)を、物理的にバラバラに表現して見せられたような、気味の悪い体験でもありました。


このシーンに、今回の『ブレードランナー2049』と言う映画のテーマが、全て集約されているような気がします。


生殖機能を持たないはずの人形やAIが、人間に近づく為に快楽を追求する。

それは、82年の『ブレードランナー』で生命である人間と、生命ではないが人間のように作られたレプリカントの間で問われた“人間としての定義とは?”というテーマから更に発展させたもの(であり問題提起)で、人間ではないレプリカントが、同様に人間ではなく肉体すらないAIとの快楽を追求することで、生命体ではないが、紛れもなく人間的な意識を備えた“何か”へと存在を昇華させる。

この『ブレードランナー 2049』では、その“何か”は果たして“人間性=魂”なのだろうか?

動物ではない“人間”のみが人間であるがゆえに持ち得る、快楽の追求を“人間性”の証拠と定義付けられるならば、無生物であるAIやレプリカントがその“人間性”を持ってしまったら、人間性はそれはもはや、人間だけの物ではない。

人類は、物質に人間性という“魂”を宿し得るか。

と言うテーマだと感じました。


観た方は分かると思いますが、セックスの誘いを持ちかけたのがAIであるジョイであり、それを受けるのがレプリカントであるKで、ただの接続機器の“肉体”としてそこに介入する娼婦が唯一、本当の肉体で、つまりはオリジナルの生命体である人間が完全なる道具として機能しており、人間として扱われない。

だけど、あの行為自体が紛れもなく人間同士における妊娠を目的としない、快楽追求の為の性行為を描いているに他ならない訳で、凄くギョッとしました。

(※もしかすると、この気味の悪さは、押井守監督作品の『イノセンス』におけるキムのセリフ「自然が計算可能だと言う信念は、人間もまた、単純な機械部品に還元されると言う結論を導き出す」と言った、一連の長セリフに集約されているようにも思います)


僕個人の感覚としては(愛情があるにしろ、ないならないで本能に従っていると言うにしろ)、あらゆる性行為は他者をある種の道具や装置として利用している節があるように感じてしまうのです。

こう言ってしまうと冷たいかも知れませんが、その行為によってある種の多幸感や快楽を得る為に、肉体(というハードウェア)を使う行為がセックスであるように思います。(相手が好きな相手や、信頼できるパートナーなら、尚良いかも知れませんが…)

世間的に、或いは社会的には、愛情や恋愛観を隠れ蓑にしながら、実は本質的には、特に行為中における思考の状態は、そうなんじゃないかと思います。

なんと言うか、そういった隠れた本質みたいなモノを、AIとレプリカントの行うセックスによって浮き彫りにされて、何だか妙な感覚に陥ったというシーンでした( ´д` ;)

また、ホログラムのAIと、人造人間であるレプリカントのセックスの為のデバイスとして人間が機能している(させられている)という状態が、今現在のAIやコンピューターによるデータ分析や管理によって、人々が意思決定したり、業務内容を決定するような労働環境にも、同じように通じる気がして恐怖を感じました。

便利の為にAIやロボットを導入したのに、気がつくとAIやロボットに仕事をさせられている的な…

まぁ、こんなことは既にあらゆる場面で既に導入されていて、もはやそれなしでは産業や経済サイクルは維持出来ませんけど。


今作では監督がドゥニ・ヴィル
ヌーヴですが、上手く世界観を作り上げられてたし、同監督作品では『ボーダーライン』の重厚な圧迫感に近いなと感じました。


脚本も、前作ブレードランナーで初期段階の脚本を手掛けたが、途中リドリー・スコットと揉めて降板したハンプトン・ファンチャーがリベンジ的に起用されたのかな?とも思うと面白いですし、何より共同脚本で、『エイリアン コヴェナント』の脚本を手掛けたマイケル・グリーンがいるのも、納得できる!

個人的に、プロメテウスからコヴェナントの流れを見ていて、無生物であるアンドロイドが抱く、生命体への憧れや願いという要素では、かなりブレードランナーに近い話でもあると思うので、リドリー・スコット作品群の中で見比べてみるのも面白いかと思います!

あと、やっぱり音楽!
ハンス・ジマーは間違いない!

最後に、ラストシーンを観ていて、小林正樹監督の『人間の條件』のクライマックスの仲代達矢を思い出したのは、俺だけじゃないはず!

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