享楽

ブレードランナー 2049の享楽のレビュー・感想・評価

ブレードランナー 2049(2017年製作の映画)
5.0
傑作。不快になる/なった対象が一つとしてなく、全体としての世界観にも面白味が満載で、なおかつ映画直接関係者(固有名としての監督や俳優)の味がふんだんに活かされていて、まるで完全栄養食。
鑑賞後どの視点からどのようにツッコミを入れればよいか戸惑いを覚え、洞窟の中のディストピアを去った後逆説的に外の自然にユートピアを見出したときのあのなんとも言えぬ感触/感覚…。おそらく”あの”感覚は(作品を鑑賞した一部の人が指摘している通り)タルコフスキーの映画を味わった後に感じるものに近い…。スタティックな自然——それは薄暗く人間無き人工的なるものが入り込む余地のないものなのだが——風景に没入し無我の境地に浸っている/浸った後の寂びの感。あの荒廃都市に機械的に生きているレプリカントあるいは人間。しかし彼らは現代に生きる我々と同じ感覚同じ認識同じ生き方をしているのだろうかと思惟するとき/した後のあの感は、私が初めてポストモダンと言われている思想家あるいは哲学者の書物の内容を読み終えた後の虚無感…それは劇中でナレーションで「どす黒い虚無感が渦を巻く」と流れたあの後の感情に近い。
監督のドゥニ・ヴィルヌーヴが描く人間の心理的描写は「プリズナーズ」から「メッセージ」に至るまで、抑圧とその解放との流れが美しい。劇中、Kが自身の記憶が植え付けられたもの、つまりフェイクのもの(ところでこのへんは哲学的に考察するに値すると思われる。つまり記憶とは何かというものだが、この場合問題は彼の幼少期の記憶、即ち虐められてから木馬をある場所に隠すまでのあの光景は、果たして彼の実体験に由来するのかそれとも映像として造られたものをいわば脳に植え付けられているだけ[そのためそれは実体験でなくもしそれが真ならば彼はある種の人間ではなく人造人間に近いという印象を我々に与える]なのか)という解釈の二者択一に迫られるが、個人的な好みとしてはやはり前作での”折り鶴”からも察せられるように、今作でも木馬の折り紙が想像主によって折られたことから、彼の脳は純粋な人間ののものでなくいわば色々と開発されたものだという解釈をしたい気持ちは強い。
笑える点としてはやはり作品後半のKとデッカードとの対決が大きい。ステージ上に流れる(彼らの時代からすればもうおそらく古典的なものとなっているであろう)舞踊と音楽と彼ら二人の命懸けの対決がチグハグに流れ、ホログラムのダンサーが場違いなのか対決している二人が場違いなのかよく分からなくなるのは面白い。
興味深い点としては今作はいわゆるSF作品ではあるが、SFに特有のシンクロ(ここではある人間一個体と別の人間一個体の身体あるいは脳)という現象を拒んでいるところにあり、それは身体を持っていないが知能を持っているジョイと、マリエッティとが一体化しようとしても仕切れないシーン(詳しくは言わずもがな今作を参照されるべし)に見られる。
何れにしてもあらゆる点で思考を退屈させない難解で詩的で美しい作品だ。今年はあまり多くの映画作品を鑑賞できていないが今作はマイベストに挙げられるだろう。
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