Jeffrey

わたしは、ダニエル・ブレイクのJeffreyのレビュー・感想・評価

4.5
「わたしは、ダニエル・ブレイク」

〜最初に一言、ケン・ローチ監督の今までの社会的地位の低い人間を徹底的に描き続けた、ぶれない姿勢の集大成である。健全に生きる権利、何とか生き抜く権利さえも刻一刻と奪われる国の制度によって死をもたらす事柄を丁寧に描いたパルムドール受賞作品の秀作である〜

冒頭、ここはイギリス。ロンドンから引っ越してきた3人家族。愛する妻に先立たれ、一人暮らしのダニエル。デジタル化が進む世の中、生きづらさ、隣人の青年、心臓病、大工仕事、万引き。今、徹底的に地位の低い人々が描かれる…本作は、ケン・ローチ監督が2016年にカンヌ国際映画祭パルムドール賞を受賞し、ポール・ラヴァーティ脚本によるイギリス・フランス、ベルギー合作の映画で、当時劇場(有楽町ヒューマントラストシネマ)で見て、その後にはしごで角川シネマでエドワード・ヤン監督の「クーリンチェ少年殺人事件」も見たのが懐かしく思う。この度、BDにて3度目の鑑賞したがイギリスの現場が描かれていて良い。やはりローチのぶれない徹底的に社会的地位の低い人々を捉え続ける彼の姿勢には頭が下がるばかりだ。彼は長らく巨大な権力を持ったものに立ち向かう人々に代わって声を上げている作品を多くとっている。彼にとって守り続けたい映画と言うのはそーゆーテーマなのだろう。

実際にパルムドール受賞スピーチの時にもそう言っていたし、この作品は世界が抱えている健全に生きる権利、何とか生き抜く権利さえも刻一刻と奪われる国の制度によって死をもたらす主人公の話なのだが、やはり共感を呼ぶ苦痛や怒りがこの映画にはあり、観客並びに審査員長と審査員たちはこの作品に最高賞与えたんだなと思う。この作品には心を動かすものが多く詰められていた。説得力はあるし、余計な飾り物をつけずに、現代に生きる我々のための映画を作ってくれたと思う。役者たちも感情を抑えた芝居をしていて、良かった。この作品はケン・ローチが今までに描いてきた、明日のことすら考えられない厳しい現実の中で、今を懸命に生きる人々の作品を撮った人間の尊厳と優しさを描く集大成なのではないだろうか。そもそもローチは前作の「ジミー野を駆ける伝説」で映画監督からの引退を表明していたと思うのだが、その宣言を撤回してまで、どうしても伝えたい物語があると制作したのが正式出品を果たして見事に受賞したのだ。

彼は当時80歳を迎える映画作家の最後になるかもしれない作品に、観客たちは拍手喝采を贈ろうとしたのだ。そしてケン・ローチにとってはカンヌ映画祭16回目となる正式出品で、2006年の「麦の穂を揺らす風」に続く2度目のパルムドールを獲得する。その後も、ヨーロッパからカナダのトロント、アメリカへと世界各国の映画祭を熱い涙で震わせ、ロカルノ国際映画祭、サン・セバスティアン国際映画祭では観客賞に輝いた。さらに、本国イギリスでは、ケン・ローチ監督作品の中で最高のオープニング成績を飾ったそうだ。今思えば、長編映画監督デビューから50年、労働者階級や移民の人々など、社会的弱者の人生にそっと寄り添い、明日のことすら考えられない厳しい現実と、それでも目の前の今を懸命に生きようとする人々の姿を描き続けてきた彼は、ぶれない精神を持っている。これはすごいことである。飽きずに、同じテーマで映画を作り続ける、そもそも同じような枠組みの作品ばかりだとネタ切れになるかもしれないし、ならなくても似たり寄ったりな作風が多いが、ローチ監督の場合は違う。それぞれにユーモアがあり、面白みがあるのだ。



さて、物語は愛する妻に先立たれ、一人暮らしのダニエル。腕輪あげられますか?と聞かれて、カルテを読めよと答えるダニエル・ブレイク。心臓発作を起こして医者から大工の仕事を止められた59歳。国から雇用支援手当てを受けている。今日はその断続の審査なのだが、悪いのは心臓だけなのに、まるでブラックジョークのような不条理な質問の連続にうんざりしていた。数日後、就労可能、手当は中止と言う通知を受け取ったダニエルは、憤慨して窓口に電話をするが、サッカーの試合より長く待たされた上に、さらに認定人からの連絡を待ってと言い放たれる。続いて、2人の子供を抱えた、シングルマザーのケイティ。職業安定所(ジョブセンター+)を訪れたダニエルは、求職者手当の申請をするようにと指示されるが、パソコンは使えないのに申し込みはオンラインのみと言われて途方に暮れる。

その時、若い女性の悲痛な声が響く。彼女の名前はケイティ。約束の時間に遅刻したせいで、給付金を受け取れないばかりか、減額処分となる違反審査にかけると宣告されていた。ロンドンからここニューカッスルへ引っ越してきたばかりで道に迷ったと訴えても、担当者は耳を貸そうとしない。幼い子供2人ずれの彼女に同情したダニエルも参加するが、一緒に追い出されてしまう。続いて、仕事もお金もない2人に芽生えた暖かな友情。買い物に付き合い、荷物を運んでくれたダニエルに、身の上話を打ち明けるケイティ。ロンドンでは、大家に雨漏りがすると文句を言ったために強制的に追い出されてホームレスの宿泊所で2年間を過ごした。だが、親子3人で1部屋の暮らしも限界となり、役所から紹介されたのが、トイレのタンクも壊れたボロアパートだった。

ケイティは通信制の大学への復学を願っていたが、今は電気代払えない。それからと言うもの、ダニエルは部屋のあちこちを修理したり、娘のデイジーに木彫りのモビールを作ってやったりと、何かとケイティを手助けするようになる。アルバイトも見つからず、切羽詰まったケイティは、食料と日用品を支給されるフードバンクを利用する。ダニエルに付き添われ、長蛇の列の順番がようやく回ってきた時、極度の空腹のあまり自分を見失い、渡された缶詰をその場で開けて食べてしまうケイティ。我に返って、惨めだわと涙をこぼす彼女を、ダニエルは君は何も悪くないと優しく励ますのだった。続いて、矛盾した制度と容赦ない現実に追い詰められていく2人。ダニエルの再審査の結果が出るが、またしても働けると判定されてしまう。

唯一の収入源となる求職者手当を受け取るには、病気で働けないのにも拘らず、求職活動を続けるしかない。実直で勤勉だダニエルにとって、そんな矛盾した行為は苦痛でしかなかった。同じく収入を断られたケイティは、スーパーで買い物をした際に、生理用品をこっそりバックに入れ、警備員に見つかってしまう。しかし、哀れに思った支配人が見逃してくれ、警備員からは力になると電話番号を書いた紙を渡される。続いて引き裂かれた友情、打ち砕かれた希望。壊れた靴のせいで娘が学校で虐められたと知って、ついに限界を迎えたケイティは、警備員に助けを求める。まっとうな仕事では無い事は分かっていたが、他に道はなかった。彼女が怪しげな店で働き始めたと知ったダニエルはやめるように説得するが、止められるなら、会わないはと突き放されてしまう。

職業安定所で、求職者手当を辞めると宣言するダニエル。止める係員に尊厳を失ったら終わりだと毅然と告げると、静かな怒りをはらんで表に出たダニエルは、強い決意のもとある行動に出る。続いて、再び友と手をつなぎ、踏み出した1歩の行方は?時が経ち、電話が通じなくなったダニエルを心配して、家を訪ねるデイジー。蓄えもそこをつき、全てに絶望したダニエルはデイジーを追い返そうとするが、彼女の一言に胸を打たれて目を覚ます。ケイティの助けを借りて、再審査行政の手続きを進めたダニエルを待っていたものとは…とがっつり説明するとこんな感じで、現在のイギリスや世界中で拡大し続ける格差や貧困の現実を目のあたりにして、今どうしても伝えたい物語としてで引退を撤回し作り出した彼の集大成である。



いゃ〜、冒頭の黒い画面で女性の声と主人公の男性のやりとりだけが聞こえるのだが、この胸くそ悪い出しから既にこの映画の結末を暗示している。およそ3分間による黒い画面の出だしはいかにイギリス社会が生きづらいかをやり取りだけで提示している。支援手当の受給結果に対して連絡を取ろうとするときに、アナウンスが音楽に変わるのって日本でもあることで、それが凄く長かったらしくてイライラすると思う。恐れ入りますがお待ちくださいと言うこの件も非常に長たらしく、そこに1つのエピソードを挟むのはさすがケン・ローチだなと思う。目の前の芝生で犬がうんこをするのだが、それに対して持ち帰らない散歩の住人に対して憤慨するエピソードだ。この映画は本当に主人公の感情が自分のごとく伝わる。しかも映画だと1時間48分待たされてサッカーの試合よりも長いと言っていた。そんでジョブセンタープラスに行くんだけど、そこのスキンヘッドの役所の男が惨たらしいこと言うんだよね。どこもデジタル派なので、予約ができないならお引き取りをとかあまりにも残酷すぎるが、これが現実なのだろうか。そもそも主人公の男は大工で、家は建てられるがパソコン関係はまったくの素人、というかご年配の方はみんなコンピューターをいじる事は難しく、中にはできる方もいるだろうが大半は慣れていない。そういった中で、冷たい物言いをするのが非常に残酷だなと感じる。

とりあえずサイトを見てくれ、予約してから来てくれ、電話をしてくれ、あの窓口に行ってくれ、待合室で待っていてくれと邪険扱いだ。そもそも専門用語が多すぎて堂々巡りである。この堂々巡りが彼の命を危険にさらしたというのが監督の最大のメッセージの1つだろう。そういった中、型通りの説明でとある家族連れ(旦那はいない)の女性を邪険に扱い、セキュリティー(警備員)を呼んで金髪のワーキングガールが家族を追い出そうとする一部始終を見ている主人公のダニエルのあっけらかんとした表情が印象的である。しかも担当は間違っていません。規則を守らないあなたのせいですと言う始末である。こういうお役所って融通がきかないから人々にとってはかなり辛いところだろう。確かにルールはルールと言えばそれでおしまいだが、彼らには人生がかかっているのだから、必死なのである。そのいざこざを聞いていたダニエルがついに堪忍袋のおが切れて介入してくる。しかし警察を呼ぶと言ってその家族もろともダニエルも追い出される。なんとも冷遇対応、驚きを隠せない非情ぶり。血も涙もない、冷血人間の集まり、これは映画的ではなく現実的である。

そしてここからダニエルとその家族の交流が始まる。彼はボロボロの彼女の家を直してあげたりする。そしてメモを残して、電話番号を知らせて電気代としてお金を置いていく優しさを見せる。そしてこの映画面白いことに、ダニエルの隣人のアフリカ系の青年チャイナと言う若者とのやりとりがあるのだが、それは微笑ましい。そしてその青年がダニエル宛の住所で外国からの荷物を送らせたことにより、不信を持って彼の家に上がり込んで、その段ボールの中身を確認するのだが、その中がスニーカーであって安心する場面も可愛らしいエピソードだ。そんでダニエルが、インターネットを習うべく、パソコン教室的なところに行くのだが、そこでも今は混んでいるから後で来てくださいと言われ、その暇つぶしが映画では描写される。どこまでも彼はスムーズにやりたいことができないのだ。その後にようやくパソコンを習いに行き、担当の女性が丁寧に教えてくれるのだが、マウスの使い方もわからず、クリックをするのに、マウス裏のライトを画面に向けたりするのは笑える。だがそれほどまでにネットに精通していない彼は当たり前だろうと思うのだ。彼は周りの人に色々と教えてもらう。

女の子にはカーソルを持ってきて、そこをクリックして下へ下げると情報が見れるわよなどと色々と教えてもらい、なるほどと理解していく。この場面では幾たびもフェイドアウトするのだ。ここに意味される事は、どれほどの時間をかけてPCを習おうとしているかと言うことである。フェイドアウトすると言う事は、かなりの時間が経っていることを暗示させる。実際に、また違う男性に色々と聞いたりしている描写も映される。そしてついに機械を信用できなくなった彼が、教えてもらった若い男性を残らせてあと2つだからもうちょっと待ってくれってもう一度変な風になってしまうかもしれないと言うのだ。そしたら今度はフリーズしてしまう始末。彼はものすごくイライラするが、冷凍(フリーズ)したとの青年の言葉に対し、冷凍?解凍できるのかと言う場面も笑える。時間切れだと言われてまた最初からやらなくてはならないことになり頭を抱えるのだ。このー連のやりとりを見るだけでも非常に理不尽だなと思うのだ。そしてダニエルはまたジョブセンターへとやってくる。

そしてダニエルは隣人の黒人の青年と中国に住んでいるスタンリーと言う青年とSkypeしているところに入ってきて、楽しく会話をしているのがすごく幸せそうな表情を見せ、ダニエルにとっては大事な隣人なんだなと思うされる。そして待ち時間がかなりありそうなフードバンクの列に並ぶダニエルとその家族のシーンがあるのだが、その行列の凄さに少しばかりショックである。前にもケン・ローチ監督の作品の時に七つの海を制覇したブリティッシュ王国がここまで貧困化しているのにやはりショックである。そしてここではその家族の母親がいてもたっても(我慢ができず)盗み食い的なのをするのだが、かなりきつい。ここは人によってはやりすぎ、この演出は微妙、興ざめすると言う感覚に陥る人も多分いると思う。確かに、あともう少しで食べられるのに、あえてここでパスタのソースを食べてしまうのは映画的であろうが、もし仮に実際にこういう現場があるとしたら、それは物語に付け加えても良いと思われるのでそこに対しての文句は全くない。多分監督はここに非常に惨めな家族像を描きたかったんだと思う。そして、弱者を助ける施設内で起こったことによって、弱者が弱者を助けると言う流れを組みたかったんだと思う。要するに裕福な人間が貧困を助けるのではなく同じ貧困の人間が貧困を助けると言う具合に…。

そしていよいよ、彼女が万引きをしてしまうところが警備員によってばれて、事務所に案内される。しかし、我々が想像超える結末となる。ここはあえて言わないで映画を見てからのお楽しみということで。そして、支給を停止されて、いよいよ自分の家具や物を売り払うダニエル。それを不安げに見つめる隣人のチャイナ。この施設の担当の女性は人殺しかよと言うほどに残酷な言葉は浴びさせる。こんなことがまかり通っているのかと本当に驚くばかりだ。そんで彼女の娘が学校で靴が壊れたからいじめられたと言って、フードバンクのことを聞いた子が悪口を言うのである。やはりフードバンクを使っているとすごくヒエラルキー的に差別されるのだろう。そしてお金に困っている彼女は、万引きをしたときの警備員が渡してくれたメモ用紙に書いてある仕事の話を聞きにとあるカフェにやってくる。そしていよいよ私はダニエルブレイクと言うタイトルが赤裸々に写し出される名シーンが映し出るのだが、そこがものすごくすかっとする。あの強烈なおじさんが登場する場面はすごかった。半ば酔っ払ってるのかと言う位だが、シラフだ。そして予定調和のごとく映画は帰結する。そしてケン・ローチの初期の傑作「ケス」同様に不意に終わるラスト、なんとも余韻に残るメッセージが最後に言い放たれる。


それにしてもひどい物語だ。主人公のダニエルはイギリスに生まれて59年だ。彼は実直に生きてきて、大工の仕事に誇りを持つ人物。しかし最愛の妻を亡くして1人になってからも、規則正しく暮らしていたところに、心臓の病に襲われ医師から働くことを止められてしまうのだ。こういった専門職に立っている人と言うのは、仕事がまだできる状態の体なのに、仕事ができないと言うのは苦痛なのだ。だが、心臓の病気には抵抗ができないものだ。だから国の援助を受けようとするが、複雑に入り組んだ制度に押しつぶされそうになる。そんな中、シングルマザーのケイティーと出会い、2人の幼い子供を抱えて仕事もない彼女を何かと手助けしてやるダニエルの姿がなんともたくましく心広いと思うのだ。やがて彼らの間に、家族のような暖かな絆が生まれていく。ところが、容赦ない現実が彼らを待ち受けているのだ。

そのダニエルを演じた役者は映画出演が初めてだそうで、もともとコメディアンと知られているジョーンズと言う人物だ。オーディションで演技を気にいられたのはもちろん、父親が建具工の労働者階級の出身だったことから、何よりもリアリティーを追求する監督に大抜擢されたとのことだ。前半の役人とのユーモアあふれるやりとりは彼の独擅場だが、感情がほとばしるシーンでは、ケン・ローチ独自の演技指導受けてダニエルを生き抜いたそうだ。ケイティーには、彼と同じくオーディションで選ばれた女優であり、どんな運命に飲み込まれても、人としての尊厳を守ろうとする2人の姿が、見る者の心に深く染み渡ると絶賛されていた。映画史にその名を刻むフィナーレの道を飾るべく、彼が深い信頼を寄せる一流のスタッフが集まって作られた。実際にスタッフ一覧を眺める、ケン・ローチの作品に関わってきた人物だらけである。
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