SatoshiFujiwara

セールスマンのSatoshiFujiwaraのレビュー・感想・評価

セールスマン(2016年製作の映画)
4.1
初ファルハディ。これは犯人は誰か、というミステリー的な主題がメインの話ではない。その筋で言うならば大した意外性はない。では何が主題か。

エマッドとラナ夫妻が引っ越した先のアパートにはその前に「いかがわしい職業」に就いていたという女がいたと説明されるが、この女は話に登場するのみで映画内にはまるで出現せずに実体がない。

エマッド不在時にアパートで襲われるラナだが、エマッドに「(犯人の)顔を見たのか?」と問い詰められた際に、何も答えず無言だったのはなぜか。この無言はどうにも不自然だ。他の質問には答えたのに。

犯人は、エマッドが最初にそう思い込んでいた人物ではなくその人物のとある関係者だとエマッドの詰問で判明するが、その理由にどこか釈然としない、本当らしくない印象がついて回るのはなぜか。確かに自白してはいるし、「証拠」と思しきものもあるが根拠にどうにも説得力がない。もちろん、映画内ではそのものズバリの襲うシーンをフラッシュバックで見せたりなんぞしない。

つまり、何も映っていないし明示されない。確かにラナは頭に怪我をしているのだが、浴室で襲われたがゆえの怪我と言いうる材料がない。事件は本当に起きたのか。あるいは、起きたとしても本当の犯人が誰かが分からない。途中からそればかり考えてしまったんだが、加藤幹郎がヒッチコックの『裏窓』について提起した問題と似たものを感じた。外側のストーリーとされているものそれ自体とその描き方に乖離がある。『裏窓』については純粋に話法・技的なものに還元される話だが(と言うか広げて考えると当時としては過激な問題提起になっているがここでは触れない)、本作については映画内演劇でアーサー・ミラーの『セールスマンの死』が暗示しているように、外形と実質の乖離をこそ描いている気がしてならない。または「真実」とは何か。どう認識されるのか(しかし、そう思えるのは予めこの演劇の内容を知っているからであって、それが分からないと映画のストーリーと演劇の展開のパラレルさが分かりにくいという難点はあるんだが)。

ともあれファルハディ、他作品も観ねばなるまい。
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