ぱお

ハクソー・リッジのぱおのレビュー・感想・評価

ハクソー・リッジ(2016年製作の映画)
4.8
今まで避けてきた戦争映画だったけど、沖縄の土の問題を聞いて観ようと思った。(日本の映画ではないけれど)

デズモンドが銃を持たなかったのって宗教上の理由もあると思うけど、幼少期に兄弟を石で殴って殺しかけた経験から「武器は大切な人の命を簡単に奪ってしまう」ことを知り、暴れた父から拳銃を奪い、それを父に向けたときに、父が泣き崩れる姿を見た経験から「武器は人間を人間じゃなくする、優しい人間の心を奪ってしまう」ことを知ったっていうのもあると思う。

戦争に行った人の本とかを読むと「お国のために」っていう意志をもって闘っていた方がいたけど、デズモンドのお父さんが「あの日俺は死んだんだ」って言っていたみたいに、その意志は間違った方法を取ってしまっていて、相手の命だけでなく自分の心もバラバラに打ち壊されてしまったのかなと思った。
でもデズモンドは、その武器を持たずに「人のために」という意志をもって戦場へと向かったから、最後まで人の命を守り、自分の人間としての優しさを失わずにいれたのかなと思った。
個人的な意見だけど。

最近自分事として考えるっていうことについて色々と悩んでいたことがある。
「戦争」を自分事化する っていう言葉が、私にはあまりにも無責任な言葉に感じてしまう。
戦争に行った人の経験とか、苦しみとか悲しみとか怒りとか…どんなに寄り添ったとしても絶対に理解できないから。
私は震災を経験して、今でも家に帰ることができない。
誰かに、この経験を聞いてほしいとは思いつつも、自分のふるさとに外からやってきて「あの時のことを聞かせてくれ」と言われると、すごく苦しくなる。
同じ当事者にすら言えないこともあるのに!って思ってしまうこともある。(そうやって寄り添ってくれる人に苛立ちを感じている自分にもイライラするという悪循環)
だから(戦争と震災は全然違うけど)、戦争に行った方にあれこれ聞き出すのも何か違うと思う。
もちろん自分の考えが正しいなんて思わないし、寄り添おうとしている方は本当に優しい人だと思う。

私は自分の「無知」という永遠の罪を認め、当事者の立場ではなくて自分の立場から戦争を知っていきたいと思う。
そして、当事者がその口を開かれるまで、倒れてしまうかもしれないその体を後ろからそっと支えて静かに見守りたいと思う。

正しい行動かは分からないけれど。
ぱお

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