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狩り場の掟のニューランドのレビュー・感想・評価

狩り場の掟(1985年製作の映画)
3.7
☑️『狩り場の掟』及び『双旗鎮刀客』▶️▶️
栄光というか、’80年代後半から’90年代初め、退屈·真面目ぶったのばかりと思われてた中共世界から、突如浮上し一世を風靡した第五世代の三大エースの1人の、日本初紹介作だったか。内モンゴルの、今も変わらず成吉思汗の狩猟のプライオリティの掟と·大地への愛を遵守して生活を続けてる、狩猟+放牧の民族の生態を描く、というより作為なくしかし強く併走してゆく作品。FAに納めるのが遅れたのか、随分、色の偏りや濃さ、線や境のシャープさ·クリアさも、劣化·寝惚けたプリントになってしまっている(プリントと思ってたが、中国申影資料館によるDCP化らしい)。しかし当時から、『青い凧』まで来ると万人納得も太鼓判と云えたが、初期作は評価の態度·姿勢保留的だった。所謂、商業映画としてのプロット-ストーリー·クライマックスへの流れや、ショットを緊密に有機的に組立てるデクパージュ·編集魔力·確度を端から拒否してて、直にそこに棲み駆け抜ける、大地·大気·生命·呼吸·自然に呼応し、共闘まんまの作で、ふつう求められる映画のコク·纏まり·駄目押しなど存在しない。清々しく、共感し、普段気づかない人間としての文明に汚されない潔さ·気品を自覚したりもする。考えられない自然の連なり·連関·拡がりや、あまりに当たり前の致命傷の被弾·裂傷·流血、大勢への従いと卑屈に見えても抗いの放棄に、半ば納得してく自分を感じてく。
白い土煙·鍋からの湯気·霧の移動·火事の黒煙と白煙、曙·日没·夕光·昼光·影や闇·松明·かがり火·照らされ息づく人の顔、枯野·すすき·細長い大量薪·柵や囲い·移動中は枝木で編んだ住家、固定の家や半壊遺跡は石造りも孤立的、稜線·大地より巨大な空·陽光の染め部分、犬たち·その個性·前のめりに膝折り命を奪わる鹿·同じく兎や鳥の肉体破裂·疾走する馬群のうねり·野生馬の人力捕獲·羊や山羊群の移動·牛らは輸送にも·卑屈な狼ら、集い·祝祭·酒の場で溶け合い·解放され·それまでの鎮めた存在を輝かす人びと、家畜は断ち切られ·皮剥がされ·流血を自然とされ·切り取られた頭部はシンボル化する、掟破りの嫌疑に従順·卑屈にも見える者は·真相告白の者に·こことぞばかり責めるどころか·自分も同じく掟の下方位置と列を揃えるだけ。自由な望遠多用、パンやフォローの自在さ、スローは射撃姿勢のアクロバティックにフィット、群れの多方向動きの1枚納めと、緩やか歩み来るはローで迎える。対峙し合っての複数の意見闘わせには、各ポジションを緩みなく押さえ、カメラは多様に能動的に廻り込む。
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ついでに、やはり30年くらい前話題になったが観れず、TVをVHS録画したが再生せずじまいの、作を観る。父の遺志で、砂漠と峡谷の町に嫁取りに来るも、因縁の最強盗賊グループと、脅しまがいの村人らの懇願で、助太刀依頼者も隠れ·様子見で、単身対決せざるを得なくなるまだ、少年。こ狡く体裁だけの大人と、自らの力を自覚してない少年の無垢の対決 は、端からついている。クリアでメリハリ·テンポ·弾力はなかなか魅力的だが、強い音響と訳分からないモンタージュで一気駆け抜けの期待見せ場は、余韻より好ましい後味のみを残す。どこか、サム·ライミ西部劇風。も少し、省かないみっともなさを堪能したい気もする、ペキンパー世代なので。
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