ニューランド

ロイドのスピーディーのニューランドのレビュー・感想・評価

ロイドのスピーディー(1928年製作の映画)
3.8
 ロイドは(少なくともクレジット上は)監督は担当してなくて、一貫した独創性も少ないので、キートン・チャップリンのようなカルト的人気を今日まで保つことは出来なかったが、単純に映画として見れば、一般性ある親しみ易さ・変に気張らない心の自然体・多彩で自在な展開の巧みさとスケール、二人より遥かに出来のいい組立てと広いポピュラリティは平均点で上の気もする。数年振りかまた見てしまった本作もそういった頂点の1本で、一昨年か最高の映画ともてやされた『トップガン』新作に、レベル的に全く同等クラスだ。どんでんや90゜変・その斜めめや少角度都度変押さえ、アップ入れの確かさと切返し、フォローや主観的の各種移動のブレ揺れや猛速度含む自然でいつしか拡大力、その為にスクリーンプロセスやコマ落とし速めも抵抗なく入れ込む。シークエンス毎の密度・盛上りが一級で、ギャグやアクションの繰り返しがしつこくもあり、頼もしくもある。1920年代終盤、映画言語が最も洗練された時代の一部としても。
 チャップリンのような時代の影を背負った人間や、キートンのような自然他の苛烈な状況や奇怪不条理との闘い、はなく、無色透明などこにでもいる市井の人びとの広いリアクションが、他意なく、ロイドと観客をつなげ湧かせてゆく。主人公の、ヤンキースに気を取られての定職ならず次々転職の有り様や、貧しい中でも彼女と夜間巨大パークでデート断行での、罪のない周りに迷惑かけっぱなしの連鎖とそれでも内からこぼれる至福感が描かれてく。知らず付いてる(動)物の、繰返し勝手動きの悪戯見えが、とことんしつっこいが、嫌らしくなく人々の好ましい正直な反応が呼び起こされてく。
 客に飲み物出しながら、中断しては電話で試合経過を不断に聞く。配達途中でショートカットしようとして、贈る花束の先を失う。タクシー運転手始めても車体に変な札付いて、客が敬遠続く。街頭にベーブルースを見つけ飛び付いて、前方見ずに振り返り主体に車で球場に送り、まま観戦で居合わせた上司からクビ通告。担当車ばかりか、駐車違反キップまで返す。買い物して付けてもらった蟹が、ポケットに入り鋏出して、知られず次々人を痛め怒り買う。スーツ汚れに、注意で何とかも、ペンキ塗り立てについ背を休める。泥を付けて困る人懐っこい野良犬が紐で括っても、とことん尾いてきて、周りを破壊続き。遂に飼い犬に。
 特定の時代問題色は薄く、通りいっぺんの悪者と、無垢で善意な・いそうな庶民との闘いが中心ストーリーに置かれる。速く忙しない社会の代表的とも言える、ヤクザな鉄道会社が、のほほんの取り残されたような地区の、住民の憩いの場ともなってる馬車の運行権を奪い路上を制覇すべく、買収や・馬車を盗み一日休業での権利喪失を狙う流れで、その馬車を動かす爺さんの孫娘の恋人がロイドの主人公。二人に肩入れし、悪事の正体にも偶然触れて、必死で取り返した馬車をスタート時間迄に路線に戻す主体に。猛スピードでハチャメチャのスリリングを超えた運転ぶりがクライマックス。合図で街の住民・店々の知り合いが、武装して運行を邪魔するヤクザらと、知恵も使っての大肉弾戦。スコセッシの『GONY』を上回る程の量と工夫ヴァリエーション。破壊を受ける電車部品も奇跡的代用品都度見つけ復活。犬も縦横無尽働き。交通ルール違反やヤクザの詰めには、偶然得た任意に動かせる警官人形が効果。
 作家主義偏重の時代の弊害で、ロイドは長くキートン・チャップリン・マルクス兄弟らのワンランク下に置いてきた。しかし、本作も含め、今も古びない、スマートなセンス作が、無理なく時代を超越して幾つも点在してる。クレジットはないが、それらを繋ぐ作家としての、この人を解き明かしたい誘惑にもかられる(近年話題にもされなかったデュヴィヴィエが、遅れて映画を見始めた人らからは、ルノワールやゴダール以上に今に活きてる、という声も複数聞く)。何しろ、ロイドは最晩年の作が、異能極まるスタージェス監督作なのだ。
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