このレビューはネタバレを含みます
この映画はあらすじを読み、パッケージを見れば分かる通り、障がい者の子どもが主人公である。
私は「障がい」をテーマにした映画は障がい者の方の目線に立って観るようにしています。
障がい者がでてくる映画っていうのは、だいたいが障がいがあるものの、特別な才能があったり他人より秀でているものがあったりする感動系ストーリーが多い。
しかし、障がい者の方も障がいを持っていない他の人と同じく当たり前のように喜怒哀楽を持っていることはもちろんのこと、秀でていなくても学校に通い、同じように息をし、大気を感じ、水や風を感じる権利はある。
だから秀でているから救いはある、という描き方は個人的に好きではない。この映画の主人公の男の子、オギーは理科を始めとする勉学が他の人より得意だ。
そういう序盤の流れをみて私はなんだか悪い予感がした。「障がい」というものを果たして涙を呼び込む感動系ストーリーにしたてて良いものかいつも考えているからだ。
しかし、ストーリーはそういう単純なものではない。
なぜならば、ストーリー上の中で主人公オギーはオギー以外の人と同じように苦悩し、当たり前の感情を持っていることをちゃんと丁寧に描いているからだ。
そして、障がいを持っている人と接する、コミュニケーションをとるときに、大体の人が何がどういう風に心が動き、どうしたら障がい者の方が偏見を持たれてイヤな思いをしないか、ということをちゃんと描いている。
それこそ理想論ではなく、リアリティーを持った描き方をしている。
映画を企画した人は愛を持っている人なんだろう。
エンディングではオギーが他人をよく見ること、つまり観察することを呼びかけている。
これはオギーに対してだけじゃなく、
オギー以外の他人同士が日常をすごす時にもとても重要なことだ。
相手に興味を持ち、観察し、なにを考えているか想像し、その人になるべく寄り添ってコミュニケーションをとる。
全人類それができたらすばらしいですね。
私は皮肉で言っているわけではなく、本心でそうなってほしいことを望みます。