YokoGoto

ワンダー 君は太陽のYokoGotoのレビュー・感想・評価

ワンダー 君は太陽(2017年製作の映画)
3.9
<間違いなく、この年、号泣映画ではナンバーワン>

『人は見た目で判断するんじゃない』
『LGBTを差別するんじゃない』
『人種で差別をするんじゃない』

世の中は、『普通』と違う、自分と違う人や事に抵抗感を示す人々が一定数いる。
それ故に、これら(差別意識)を糾弾することで、なんとなく平等や平和を創造しているように見えてしまうが、私は個人的にはそうは思わない。

なぜなら、差別を糾弾するということは、多様性を受け入れろという事なのに、マイノリティに対する嫌悪感を示す感情も、同じように受け入れなければフェアじゃないのか?と感じるからだ。

つまりは、差別意識を持つ人も、多様性の一つとしてみたら、それはそれで否定されるべきものではないのだ。

しかしながら、個人的には、過度な『差別』やマイノリティ批判は受け入れがたい。ましてや、それらが誰かの肉体や精神を傷つけてしまう暴力的な行動にまで発展する事は、決して許しがたいし受け入れがたい。せめて、それぞれの気持ちの中に収めておいて欲しい。

では、これらはどこを落とし所にすべきなのか?
私は、やはり、対話しかないと思うのだ。

マイナスの気持ちを強引にプラスに変えることはできないし、次の日から「嫌い」が「好き」になんて変わらないだろう。だけど、対話することで、何かが変わったり、「嫌いだけど、気持ちはわかる」とか、何か小さな変化が起こるはずだ。

一方的に差別するものも、
一方的に差別するものを批判するものも、
対して変わりは無いと思う。批判を批判することは、結局は建設的では無いということである。

必要なのは、北風と太陽のお話のように、温かい太陽が、周りの雪を溶かして透明な雪解け水を作るように、そんな優しい暖かさの連鎖なのである。

前置きが長くなったが、本作『ワンダー 君は太陽』は、遺伝子異常により生まれつき顔が人と違う男の子と、その家族、学校の仲間のお話である。

ここには、決して綺麗事では語れない偏見や差別も、飾り付け無しで物語の中で語られる。10歳の男の子には、見た目のハンディは重すぎる荷物である。

この物語の中では、この主役のオギーが、いかに周りの人々と関係を創っていくのかについて描かれているが、決して押し付けがましくない所が最高に素晴らしい。
必要以上にポジティブでもないし、かといって引きこもってネガティブに過ごしてもいない。年相応の子供らしさと、特別なハンディキャップを持つ故に備わった大人の落ち着き感、オギーのキャラクター設定や描き方が絶妙に素晴らしいのが本作の良いところ。

特に、この10歳の主役のオギーは、映画『ルーム』に出ていた、あの天才子役のジェイコブ君。やはりすごい。あっという間に、オギーに感情移入してしまい、可愛らしく愛らしく思えてしまうのがミソである。

さらに、オギーを取り囲む両親にジュリア・ロバーツとオーウェン・ウィルソン。この夫婦の息のあった演技が、抜群に良かった。なんとなく頼りのないパパ役にオーウェン・ウィルソンをあてたのは、本作をほんわかとした、木漏れ日のような暖かさに包んでしまう効果があった。オーウェン・ウィルソンの存在感というものは、映画全体に味付けできる所が、本当に良いと思っている。

そして、本作は、とにかく泣ける。
何箇所も、何箇所も泣いてしまう。

その感情は、オギーが可愛そうだからとか、両親の愛が温かいからとか、そういう分かりやすい感情変化から起こる涙ともちょっと違う。

なんとなく、理不尽だし、納得いかないけど、そんな理不尽だらけの世の中を、何かに折り合いをつけながら、不完全ながらも、ちゃんと向かっていくオギーに勇気をもらってしまうのだ。彼も、彼の家族も、理不尽に対して、声をあげたり向かっていったりしない。
オギーが、静かに一生懸命、自分の力で溶け込んでいく事を、深い愛と理解で待っているのである。そして、そこにこそ、差別や理不尽を乗り越えるための答えがあるように思えてしまう。

人は未熟な生き物だ。
差別もするし、偏見も持つ。

だけど、それを大声で糾弾しても、さほど変化は起こらない。
小さな変化と小さな対話、それを積み上げていく事で、大きな変化を作ることができる、それをオギーは教えてくれる。

おすすめの温かい映画です。ぜひ、御覧ください。
YokoGoto

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