ゑぎ

女性たち/女たちのゑぎのレビュー・感想・評価

女性たち/女たち(1939年製作の映画)
4.0
 キューカーらしい女性映画の傑作。女性しか出ない映画として有名だが、いや無理からに女性しか登場させない映画なのだ。夫との会話などは、多くは電話で済まされ、かつ、電話の表現は、相手の声が聞こえないパターンだ。多くの場面で電話を使ってプロットを転がす、電話の映画、ということもできるだろう。

 また、本作もキューカーらしい映画中映画のある作品で、ノーマ・シアラーが母親のルシル・ワトソンとバミューダ旅行をした際の8ミリ映画を、娘と一緒に見る。この8ミリ映画が素人っぽく上手く作られている。『アダム氏とマダム』でのトレイシーとヘップバーンを写した8mmフィルム鑑賞シーンを思い出す。

 本作の主人公は、善人側というか被害者側のシアラーなのだが、演技が優等生的で面白みがない。ジョーン・フォンテインも同様の弱さだが、ちょっと内気というかアホっぽいところは面白い。という訳で、映画的な面白さ、という意味では、癖の強い二人の女優、ロザリンド・ラッセルとジョーン・クロフォードの圧勝なのだ。何と云っても、リノでの、ラッセルとポーレット・ゴダードとの掴み合いの喧嘩シーンが、一番の見せ場だろう。素晴らしい!また、クロフォードの蓮っ葉ぶりも、バスルームでのメイドとのやりとり等、キレッキレなのだ。

 ただし、シアラーの周りでは、母親のルシル・ワトソンは、ラッセルら友達に振り回されないよう娘に助言する、聡明な老婦人のモチーフで描かれる。また、シアラーの娘メアリーを演じるヴァージニア・ワイドラーも上手すぎて舌を巻くが、それは会話シーンの撮影とカット割りの良さも手伝っているだろう。あと、カット割りで特筆すべきは、シアラーと夫との話し合いを、使用人(メイド)の盗み聞きで表現する演出。二人の使用人のカット割りが絶妙だ。

 ちょっと気になったのは、クライマックスの展開。意を決したシアラーが、ナイトクラブへ乗り込み、ラッセルとクロフォードに一泡吹かせる、という場面だが、離れ業のような筋書きでプロットを転がすところが、私には理に落ちた展開にも思え、すっきりしなかった。原作戯曲のまゝなんだとは思うが、キューカーには、ちょくちょくこういうところがある。

#備忘で配役等を記述。
・シドニーズという美容サロンのネイル担当はデニー・ムーアで、彼女のお喋りが情報(シアラーの夫の浮気情報)の発信源。
・ファッションショーはパートカラー。ショーの後、マヌカンが衣装を売り歩くというのが興味深かった。
・シアラーの夫の秘書は、ルース・ハッシー。身辺整理に来るワンシーンのみ。
・リノへ向かう列車の食堂車で出会う伯爵夫人は、メアリー・ボーランド・リノのシーンは、山の牧場のよう。マージョリー・メインが世話係。歌を唄う。
・コラムニストはヘッダ・ホッパー。元女優で当時高名なゴシップ記者だ。
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