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傷だらけの悪魔のとものレビュー・感想・評価

傷だらけの悪魔(2017年製作の映画)
3.6
何年前に観たんやっけなぁ、もう一回観てみた。
登場人物の誰も好きになれへんくて
オープニングから胸糞悪いけど(笑)、
作り手の伝えたい気持ちの強さはすごく伝わってくる。
いい映画だと思う。

自分の事を覚えてすらなくてはらわた煮えくり返るのも
同じ苦しみ味わってみろやって、思い知れって、
憎くて憎くて仕方ないのもわかる。
おかしくなっちゃいそうになるのも、
全部そいつのせいにしてしまいたくなるのもわかる。

傍観者の、堂々と名乗り出る勇気が怖くて出ないものの
自分だけはいい奴でいようとか、
自分の中の良心や後ろめたさと闘って、
こんなのおかしいって、どうにかしたいのもわかる。

舞の、つっぱねる反応もわからんでもない。

『いつまでも過去の記憶から
        抜け出せなくて哀れ、可哀想』
『自分の人生なんやから人のせいにすんな』

確かに仰る通り。そらそうよ。
ただお前が言うことじゃないけどな笑
正論やとしても、舞が詩乃に言う言葉ではない。
だって一回たりとも謝ってないんやから。
詩乃にはただの開き直りの逆ギレにしか見えへんやろ。

やけど、反省できた所だけは結局舞が一番賢くて勇敢。

仕返しは何も生まないんじゃないよ。
連鎖を生み出してまうきっかけにも、
それぞれの立場で気付けるきっかけにもなり得る。

でもいじめられたからって、どんなに憎くたって
そいつをいじめ返す免罪符にはならんのよ
いつまでもそこにいる訳にはいかんのよ

なぜなら何を言っても結局自分が引き寄せた事であり、
相手は自分の鏡であり、悔しいけど本当にそう。
そしてやり返して楽しんでたら
同じ人種になってる虚しさにも気付けるはずやから。
それでは埋まらんよ

傷付けられた人は、傷付いた人に一瞬で気付ける優しさ、
敏感さが備わりやすいと思う。
そして人を見る目が肥える、自分を見る目を含めて。

そしたらやり返すなんて方法では
自分を好きになんてなれっこないんやから

いじめっ子はいじめっ子で
何を言っても、何があっても、正当化する理由にはならん。
いじめる側も色々抱えてたとか、そんなん知るか。
地獄の思いしとんねん。どっちが弱いねん!
家庭環境とかコンプレックスとかヒエラルキー維持とか
それをぶつけられる気持ちは考えたことないよな?
本当にそれでいいの?その笑顔って一体なんなの?
どれが純粋な笑顔か、まだ見分けつく?
不器用なくせに器用に仮面使い分けやがって
心が荒んでくことに見て見ぬふりしてんなよ
いじめっ子にだって一点の曇りもなく笑っててほしいし
本当は抱き合える関係でありたいのに。
なぜ自分の価値を下げ、勝手に自分で自分を麻痺さして
恨み憎しみを持たれても仕方ないような事して
開き直ってるの?気付いてるよね?

人をいじめて楽しんでるようなクズにも
親友やそいつを愛する親がいるかと思うと
吐きそうやった。
こんな奴が快適に学校生活送ってるなんてって。
いじめっ子が大人になって子供が生まれて、
たとえその子がいじめられるような事があっても
絶対文句言うなよくそがって、
子供の頃めちゃくちゃ思ってた。
それでいいと思って楽しんでやってたよね?って
いつか報いを受ける事もどっかで望んでしまってた。

でも

全ての救いは“生きていれば”
人は変われるってこと、許せるってこと。
どんな立場にあっても糧にする力を持ってるってこと。
間違っても、過去を省みて反省できたら人は変われる。
それは頑として動かない事実。って、思う。
ただお願いやから、誰も、誰をも追い詰めないで。
それに責任持てる術があるなんて思わないで。
簡単に考えないで。
今流さんかったら、一個助かる命があるかもしれん。
変われるとか、学べるとかの結果論の前に気付ける。

誰もが心に闇を抱えても、
いつか一人一人が自分も相手も許せて、
人の痛みに気付けて
一人残らず腹の底から笑えるようになれたらいいのに

というのを思い起こさせた映画。
げろ長。笑
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