塩故障

ダゲール街の人々の塩故障のレビュー・感想・評価

ダゲール街の人々(1976年製作の映画)
4.9
 "ダゲール"というフランスに実在する街へと入り込むカメラは、必ずしもその場所と調和し溶け込むこともなく、寧ろ独立し、些か浮き足立っている。カメラは人々を見る、人々はカメラを見る。我々は彼らを見る、彼らは我々を見る。そこにはカメラの橋渡がある。互いが互いに、異物に違いない。「観る/観られる関係の解体」。
 実のところ、彼らは"彼ら"である。概括をカメラが解体する。自我と主体のセクション。"彼ら"は確かに存在しており、勝手に歩き回り、ものを食べ、相も変わらず朴訥なムキダシのその街に起き臥しする。「大衆の解体」。
 我々は彼らを見る、彼らもまた我々(=カメラ/マジシャン)を見る。そこに畏まった区別はない。我々もそこにいるかもしれない、彼らもこちらにいるかもしれない。
塩故障

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