kaikurikoro

映画 夜空はいつでも最高密度の青色だのkaikurikoroのレビュー・感想・評価

3.2
狡賢さとはなんなのか

人間は社会的な生きものなので、常に他者を求める。他者がいなければ無人島で、自己が成立しない。他者がいるなかで相手から好意を頂きたい、愛されたいと願うことは基本的な欲求としてある。
そのとき、その相手に分からないように、見えないように、責任を回避(相手に(自分へのgood/badの)判断基準を失わせること(ミステリアスを出す人ほど責任逃れか)) しながら相手から好意を受けようとすることが、狡賢く生きるということなのか

その意味において、誰かを好きになるということは、確かに相手を少しだけ殺すということになるのかもしれない。
だけど殺すことができるということも、それだけ自分の世界を生きているということなので、ざまぁ見ろということなのかもしれない

もし成就したように感じたときは、(相手に受け入れられたと感じたときは)全能感に近い、ある予感を手に入れる。世界が好転するかもしれないという予感としてそれは知らされる

愚直にしか生きられない人を演じる狡賢い映画だと思う
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