あでゆ

GODZILLA 怪獣惑星のあでゆのレビュー・感想・評価

GODZILLA 怪獣惑星(2017年製作の映画)
1.1
突如出現した怪獣たちと彼らを倒すパワーを持つゴジラを相手に戦ってきた人類だが、次第に力を失い地球を脱出しようとする。人工知能によって選別された者たちが恒星間移民船・アラトラム号でくじら座タウ星eにたどり着いたが、そこは人類が生存するには過酷な環境であることが判明する。アラトラム号に乗る青年ハルオは移住の道が閉ざされたのを機に、地球に帰還して両親を殺した敵でもあるゴジラを倒そうと決意。長距離亜空間航行で2万年の歳月が流れた地球に戻るが、地上の生態系の頂点にはゴジラが位置していた。

原案は『猿の惑星』か『ストーカー』かな。

良い点 音楽が良い。音楽も旧ゴジラ風の音楽や、シンゴジラでも用いられていたエヴァンゲリオン風(いや007風)の音楽だったり、若干トランスっぽいようなデジタルミュージックなど幅は広い。以上。

こっからは文句だけ。
全体のプロット。ゴジラに勝てないから地球離脱、離脱したは良いけど新しい惑星がないから地球に帰還しゴジラ撃退を計画、着いた途端ビビって撤退計画開始、でも遭遇してみたら意外と倒せた。まじで何なんだこの話。しかもまともにゴジラが出てる時間は20分弱くらい。ろくにゴジラも出ないし、グダグダ中学生が考えたような設定のもとに話し合いしてるだけで、それも最中はほとんど顔のアップばかりなのでアニメ映画のダイナミズムみたいなものも後半まではほぼ何もない。

そもそも主人公が気に入らない、全く感情移入できない。特に意味わからんのは、初めに見知らぬ大勢の犠牲は戦いに必要だと強いるくせに、仲良くなったちょっとかわいい女が参戦したいといいだしたら「事実上の特攻なんだぞ」と止めるところ。別にコレ自体はあってしかるべきなんだが、物語的にその考え方の落とし前はどこかでつけるべきだろう。結局主人公を甘やかしているだけで、彼はこの物語中で何も成長していない。
そもそもゴジラ討伐も彼にとっては単なる私怨の晴らしで、それを地球奪還とかいう本人も実はどうでもいい、既に過去のものとなったナショナリズムで正当化してるだけ。

大体先人が寄ってたかっても全く勝ち目がなかったゴジラを、なんでそんな才能があるのかもよくわからない大学生くらいの青年のアイデアで一朝一夕、ろくな装備もなく倒すことができるのかという理由を教えてくれよ。本当にこの映画、全ての要素は結局の所、ただただ意味もなく主人公を甘やかしているだけで、実際の所絶望なんかなにもないんだ。だから始まりから終わりまで全く主人公は成長していない。

リーランドというキャラクターはまさにそれを体現する。彼はゴジラと初の遭遇時、間違いなく40秒前には主人公に敵対し、間接的に銃を向けていた。そのはずなのに、そこからなんの描写もなく(正確には1カット入って舌打ちはしているがそこに至るまでの葛藤などはない)、40秒後には主人公のために命を捧げ、散っている。全く意味がわからない。
更に頭がオカシイのは、リーランドが死んだのは実際問題、主人公が頭に血が上り、輪を乱して無意味な攻撃をしたからだ。それなのにその後、主人公は何らかの信頼を勝ち取って、元のリーランドの地位につき、作戦の指揮権を取るわけだが、正気か?例えば作戦や科学的な知識があったとして、それが参謀などとして機能するならまだわかるけど、全権を握らせるて仮にもプロ集団だよなと思う。

絶望感があるっていうけど、もはや未知の土地と化した”チキュウ”で、宇宙人とそんなに意味の変わらない元地球人が「おれのかんがえたさいきょうのごじら」に対峙されたところで、正直どうでもよくないか?と思ってしまった。

あと続編商法はともかく、小説「GODZILLA 怪獣黙示録」も読めばわかるってそんなもん知るかよ、こっちは映画を観てるんだよ。

虚淵は櫻井にポエム読ませないといけない病気なんか

そういやジジイの船爆破したのはなんだったんだ。続きまで引っ張るネタなのか?
何よりこの映画、予告以上の驚きが特に無い。
あでゆ

あでゆ