Larx0517

否定と肯定のLarx0517のレビュー・感想・評価

否定と肯定(2016年製作の映画)
4.0
裁判は戦略。
法廷は舞台。

「ホロコーストの有無を英国の法廷が判断?」
事務弁護士補助のローラが言うまでもなく、世界中が首を傾げたはず。

ポーランドのアウシュヴィッツの映像には、記憶が蘇り、涙が出た。
実際に、ナチスが造った最初の強制収容所、ドイツにあるダッハウ強制収容所に行った。
そこで見たことは、一生忘れられない経験。

それがなかった?

「ガス室内のユダヤ人の写真は1枚もないわ」

デボラの言葉に、言葉を失う。
確かに、ダッハウでも、網膜に焼きついている凄惨な写真や何ヵ国語にも訳された説明に、そのような「証拠」はない。
改めて確認したが、日本語版Wikipediaでも以下になっている。

「ダッハウに偽装シャワー室のガス室がつくられている。しかし、ダッハウでガス室が実際に稼働した事実を証明する資料はない。」

「どんな証拠が どこにあるのか
その信憑性は?」

原題”Denial”(否定)。
最初は「ホロコースト否認」(Holocaust Denial)と思いながら見始める。
やがて本当の意味を知る。
「自己否定の行(ぎょう) act of denial」
ダブルミーニング(掛詞)なのだと。

何よりも、イギリス俳優陣の底力に圧倒される。
ぜひ再鑑賞する機会があれば、セリフを言ってない俳優の演技に注目して欲しい。

ユダヤ系イギリス人レイチェル・ワイズが「クイーンズ出身」アメリカ人を演じる。
自虐ネタとも言える「イギリスいじり」が微笑ましい。
ブラックとネイビーの画面の中で、彼女だけがオレンジの髪に、オレンジのスカーフと、「異端」を際立たせている。

「彼の魅力のとりこになっていないかね?」
と言わしめた、アンドリュー・スコット。
前半の主役とも言える存在感。
いつもよりも低いトーン、ゆっくりとしたピッチのブリティッシュアクセント。
一歩間違えればサイコパスになりそうな、勝つためにはどこまでも非情で冷徹になれるカリスマ。
口は動くが、瞳が「動く」ことはない。
彼の瞳が動くのは、裁判の前後のみ。

後半の主役。
法廷シーンでは、彼の1人舞台のトム・ウィルキンソン。
その威厳と風格は唯一無比。
同時に親しみやすさも醸し出す。
ちなみに一流弁護士に勧められても、ブラック・プディング(豚の血の腸詰め)はイタダケナイ。
経験者は語る。

映画『ダンケルク』でブレイクする前のジャック・ロウデンが初々しい。
彼には珍しいリムレス眼鏡。
スコットとは逆に、早いピッチで、相手の語尾を突いて話す。
セリフがない時も、常にアンソニーの動きを追い、細かくせわしなく、表情がくるくると動く。
それらがスコットと好対照。
(オックスブリッジ出たての、)熱意はあるが、少年っぽさが抜けない事務弁護士補助。
彼が「稀少なストロベリーブロンドのイケメン」だけでないと、この時点で証明している。

そして最も難しいアーヴィング役ティモシー・スポール。
分かりやすい「悪役」ではなく、娘には優しい、無自覚なだけに根が深い差別者をこれ見よがしでなく、的確に演じている。
特に「卵」と「握手」の演技は控えめながらも、彼の「無自覚」さを端的に表している。

映画としての構成、演出、なにより脚本が秀逸。

チームのひとりひとりを丹念に描き、見る者をデボラ側の1人に錯覚させ、法廷に座らせ、支援させる。
その上で、ラスト近くの「思わぬ伏兵」にデボラ側だけでなく、見る者にもハラハラさせる。

裁判後の、囲み取材の女性記者に対する、アーヴィングの無意識だけに彼の本質が露呈する返答など。
セリフひとつ、ひとつが吟味されている。

歴史的裁判の一端を見るだけでなく、法廷ドラマ、イギリス俳優陣の演技を堪能する価値はある重厚な作品。
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