つのつの

牯嶺街(クーリンチェ)少年殺人事件 デジタル・リマスター版のつのつののレビュー・感想・評価

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再鑑賞 映画館では初めて。
所々寝ちゃって悲しい。
暗室を備えた装置を、暗いスタジオの中で動かしながら世界を切り取る「映画」が、光と闇の両極を揺れ動き最後には光を手放してしまう小四と対峙する終盤が印象的。
「本当のことがわからないくせに何が映画だよ」という台詞を書いた時、作り手は何を思っていたのだろうか。
階級と格差についての映画。
出世や進学(受験競争は格差の縮図だと痛感)は勿論のこと、家の構造(小馬の家の玄関の広さ)や着ている服、タバコを吸う・吸わないといった日常の瑣末なことにまで、経済状況や社会的立場が現れる。
バスの窓の外に広がる軍隊の行進が端的に示す通り、この映画の中心から外側にまで抑圧/被抑圧の構造が入れ子になって存在する。
最も抑圧を受けるのは、「か弱い」「庇護の対象」、あるいは「ファム・ファタル」という記号を押し付けられて命を奪われる小明であり、彼女が旧世代の遺物を小四の視線/画面に向かって発射する時、その弾丸は映画という制度すら見据えて構造を逆行する。
視覚だけでなく音の映画でも勿論ある。
壊れたラジオの伏線は最後の最後に残酷な形で回収され、小四と小明の会話は軍隊の演習場の騒音にかき消されるが、それでも捨てられたはずの小猫王が吹き込んだレコードは、映画の演出によって観客だけに聴こえてくる。


光と闇、静と動の対比がバッキバキにキマッてる映画のマジック。
そのコントラストが登場人物が感じるこの世界の寄る辺なさに通じてる気がした。

イキッてた奴が丸くなって
何も悪いことしてない奴が罰せられる。
憧れの奴がチャラかったりする。
校舎を出た一寸先は真っ黒な闇という不条理な世界。

主人公の少四は至って普通な少年なのがいい。
それなりに友達もいてそれなりに嫌なこともあってそれなりに初恋もする。
前半はキレッキレの演出で見せる甘酸っぱい青春映画だった。
だからこそそんな彼にあんなことをするに至るまでの、悲劇の連鎖が胸を締め付ける。
4時間という尺は自宅鑑賞にはややキツかったけど、この重みがあるから終盤における前半との反復演出の意味が増してる気がした。

重量、余韻含めて二度は見れないかもしれない。
でもずっと思い返す作品。
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