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ニーゼと光のアトリエのまぁやのレビュー・感想・評価

ニーゼと光のアトリエ(2015年製作の映画)
3.9
1940年代。ブラジル。精神科医のニーゼは、畜生のごとく精神病患者を扱う医師たちに衝撃を受け、当時主流となりつつあった治療法を断り、作業療法の現場で独自の方法を試みる。ニーゼだけが、彼らをクライアントと呼び、愛と芸術活動によって人間的尊厳を呼び戻そうとするが。。
 
今でこそ、統合失調症など重い精神障害の治療法は向精神薬の投与が主流となっている。だけど、薬が開発されたのは1950年代の事で、それまでは、効果的な治療法はほぼ皆無だったようだ。
水責めや高速回転椅子などで一時的なショック状態を起こし、患者の精神を沈静するといった、治療というより、拷問に近い方法がとられていたという。治癒よりも、とにかく狂暴な状態をなんとか封じ込めることで手一杯だったのだろう。ロボトミー手術も、電気ショック治療も、その延長線上にあり、人間としての尊厳は担保されていなかった。

戦中戦後の風潮として、患者の心というものは重要視されていなかったとはいえ、むごすぎる。精神を扱う分野でさえ、患者を人体実験のように扱い、外科医でもない精神科医がアイスピックで脳の外科手術を行う。。恐ろしくて、寒々しい気分にさせられるが、遠い昔の話ではない。この事実を考えると、患者の人権が確立したのってつい最近の事なんだなと思う。

障がい者を軽んずる時代背景と、封建的な男社会のなかで、自分の思いを貫くというのは並大抵のことではない。
彼女を強く支えたのは、愛する心であり、豊穣な人生を全うさせたいという祈りにも似た願いだった。

ユングの著書からヒントを得て、彼らに内包された自己治癒力を信仰するニーゼ。

その尊い力を萌芽させる手段として、絵を描くこと。音楽に満たされ、ダンスを楽しむこと。アニマルセラピーの導入。思い付く限りの数限りない方法で彼らを刺激し、受容していく。
特に感動したのは、暴れても他者を傷つけない限り、暴れるに任せて見守るスタンスをとったことだ。
安心感を与える環境で、彼らは笑顔をみせ、幸福そうなシーンが増えていく。

彼らの自由な行動を観察し、作品から無意識を紐解くことで、彼らが抱えている苦しみの根源を解き明かそうとするニーゼ。彼女の真摯な生き方はどの分野に携わる人間にも勇気を与えてくれると思う。

そして、彼女のような人物を見ていると、良心のいたらなさや倫理観の欠如を時代のせいには出来ないな。と感じ身が引き締まる。

昨年『あるがままのアート展』で、統合失調症や知的障害を持つ方々のアートに触れる機会を得た。鋭いエネルギー。規則性のある点描。優しい眼差し。集中力。
作者の息づかいが感じられる生々しい作品の数々だった。

このようにアートで自身を表現する土壌は世界でも確立されつつある。
この分野の革新者となったニーゼに心から拍手を送りたい。
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