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台北ストーリーのkinoのレビュー・感想・評価

台北ストーリー(1985年製作の映画)
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 男性と女性の性質を決めつけて何か発言をすることはあまり良くないが、あえて言うなら、この映画は男性と女性の変化への対応の違いが「台北ストーリー」にははっきりと書かれていたと思う。
 男性つまりアリョンは過去の栄光に囚われ、変化する社会についていくことができない。しかし、女性であるアジンはその変化に戸惑いながらも適応していこうとする。この部分を指摘することにより、その差からどちらかの優位性について述べたい訳ではない。ただ男性はかつての(今もそうではないとは言えない)社会では「強くあるべき」という像を求められる訳であり、意識的にも無意識的にもその責めを日々受けている。それゆえに、男性であるアリョンは「強かった」頃の自分にしがみついて、現実を見ることができない。
その一方で、女性であるアジンはアジンで「受動的」であること、つまり男性中心の世界の変化についていくことを求められていた。それゆえに、彼女は現実を受け入れられているのではないかと私は思う。
(社会とかなんとか言うたものの、後から考えると野生的とか本性的みたいなもんでもあるよなとも思う)
 双方の変化への対応の方法は「男が弱くて、女が強い」で単純に終わらせることができない。そこには、立ち止まることを許されない寂寥感や、適応能力を培わなければいけなかった苦しさがあったのだと気付かされた。複雑な人間の感情を映画を通して見ることができて、本当に映画を観て何かを考えることは本当に重要だと思わされた。
 登場人物の心情に基づいた感想は以上の通りだが、この物語をかつての中華民国と新たな台湾のメタファーとして見られると言うアイデアには脱帽した。そうして観ると普通に観るよりもさらに考えさせられたし、映画としての深みもさらに増したように思う。人間ドラマとしても社会眺望としても捉えられるような作品を作る、エドワード・ヤンの手腕は凄いものだと思ったし、もっと彼の作品をたくさん観てみたいと思った。
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