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サーミの血のedamameのレビュー・感想・評価

サーミの血(2016年製作の映画)
3.5
主人公は差別される側であったからこそ、その呪いから逃れるために、自らのアイデンティティを否定することになってしまったのだろう。
これは現代の人種差別にも見られる現象だと思う。たとえばアメリカで暮らす「黒人」のうち、いわゆる白人カルチャーの中で育った裕福な人は、「自分は彼らとは違う」と思いたいがために差別する側に回ってしまう。
エレ・マリャも、スウェーデン人から汚い言葉や視線を浴びせられ、見下され、劣るとみなされるようなラップ人にわたしは含まれない、あいつらとは違うと信じたかったのだろう。スウェーデン人による/のための「人類学」の発展のために、頭蓋骨の幅を測られたり裸の写真を撮られたりすることは、屈辱的であったに違いない。
けれど、それでも彼女は「優れている」スウェーデン人の側に自由があると信じて、故郷を捨ててしまった。それはマジョリティ側に優位で差別的な言説を支え、その囲いの中に進んで飛び込む行為ではないか。その点で主人公は全く自由ではないし、ある意味負けてしまったと思う。
ラストの「わたしを許して」という台詞は凄く印象深かった。「わたし」が指すのは、果たしてエレ・マリャのことだけなのだろうか。許しを乞うべきなのは、差別した側の人間ではないか。
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