カズミ

THE BATMAN-ザ・バットマンーのカズミのネタバレレビュー・内容・結末

4.2

このレビューはネタバレを含みます

初回と二回目以降で、だいぶ印象が変わった。全体的に重々しく、暗い雰囲気。ゆっくりと解き明かされる謎と登場人物の多さに、三時間ぶっ続けて観た後の疲労感がすごく、最初は「もう少し的を絞れば、あと40分は削れたのでは?」と思っていた。
しかし、展開とテンポがわかっている二周目になってくると、細部に目が行き届き、キャラクターにも感情移入できるようになってきた。

初回では、知能犯を謳っていたリドラーの正体があまりに駄々っ子に見えて、少し拍子抜けしてしまったところがあったのだが、パズルのピースを組み合わせるように過去や動機を掘り下げていくと、一つ一つのシーンが面白い。
ゴッサムの酷い格差社会の中で、同じ“孤児”として同列に並べられたブルースを恨み、街に蔓延する悪を制裁するバットマンを崇拝して、自らも腐敗する上流階級の組織的犯罪に最悪の方法でメスを入れた。

最初は挑発していると思われたメッセージカードが実はラブレターだったと思うと、カフェで初めてバットマンを目にしたときの満足げなあの笑みが理解できる。
IDが二つあったのは、出自すら不明な孤児ということなのだろうか? そうなると、透明人間のように生きてきたから何者かになりたい、という強迫観念的な願望に説得力が増す。
バットマンに拒絶されたときの反応を見るに、彼には生涯仲間と言える存在がおらず、ついに自分にもそれが得られる! と期待を膨らませていたのだろう。
おそらくは、バットマンも同じ下層階級出身だと決めつけており、自分の下した正義の鉄槌を褒めてもらおう、ぐらいに思っていたのかもしれない。
悠々と私腹を肥やす上流階級の人間を自分たちが生きてきた惨めさと絶望の位置まで引きづり下ろし、今度はこちらが高みの見物をきめて、晴れてバットマンと肩を並べ、おてて繋いでハッピーエンド♪ な光景でも描いていたのかもしれない。
そう考えると、ジョーカーという仲間を得たリドラーが次作でどんな動きを見せるのか、考えるのが怖いところだ。

バットマンに登場するヴィランは、往々にして刑務所よりもアーカム精神病院送りになる精神疾患を抱えたものが多い。
確か原作に、「お前も相部屋にするか?」とジョーカーがバットマンに皮肉を言う台詞があったような気もするが、歴代のバットマンと比べて、その設定が色濃く表れているのが本作だ。
青白い肌に、こけた頬、虚な目。復讐を謳って、夜な夜な犯罪者に独善的で暴力的な罰を与える。
冒頭で、助けたはずの人間にお礼を言われるどころか、ただ恐怖されるところを鑑みても、傍から見れば彼がヒーローではなく、道理から外れた身勝手な自警団にしか見えないことが伺える。
「俺は復讐だ」と、テロ犯が同じ名乗りを上げていたことからも、もしブルースが生まれを違えていたのなら、下層階級で大切な人を奪われる経験を送っていたのなら、リドラーたちと同じように、腐敗する上流階級の者たちを敵とみなし、蛮行に至ったかもしれない、と想像させる。

加えて、本作のバットマンは歴代に比べて一番“コスプレ野郎”感が強い。それは見た目の話ではなく、ヒーローめいた演出が極端に少ないことが理由だ。
バットモービルも登場するが、中盤まで移動は何の変哲もないバイクか徒歩。一度屋上に追い詰められて、ウイングスーツで飛ぶシーンもあったが、高度が足らず、着地は見るも無惨な有様。
そのリアルさが、ただのイチ人間が一人ゴッサムを変革しようと足掻いている感満載で、個人的には最高にかっこよく思えた。

一本の映画として見ると、ベースの設定が入っていない場合は、登場人物が多くてややこしく、逆に長年のファンからは、ゴッサムとマフィアの癒着はもう少しカットしてもよかったのでは? と思わせるかもしれない。(拘束されたオズワルドがペンギン歩きをするシーンは、皮肉が効いていて大好きなので削らないで欲しい)
総じて、連続ドラマの三本立て感があるのは確かだが、ダークナイトトリロジーを超えるリアルさとヒーローものというよりクライムサスペンスといった様相の本作は、DC(ディテクティブ・コミックス)が由来する犯罪・探偵漫画感を存分に味わえる。
次作は果たしてどんなストーリーになるのか。大好きなポイズン・アイビーは出てくるのか。今回のテロ後、ゴッサムとバットマンの変化をどう描くのか、今から楽しみでなりません。
カズミ

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