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なっちゃんはまだ新宿のnakajiのネタバレレビュー・内容・結末

なっちゃんはまだ新宿(2016年製作の映画)
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このレビューはネタバレを含みます

『21世紀の女の子』が公開されたので、その監督の一人、首藤凛の作品をひさびさに見たくなり。

何度見ても、これは「女の子」の三角関係に割とよくある形なのか、それともとても特別な形なのか、普遍的なのか、それとも現代的なのか。とても不思議だ。いつもいい感じに突き放される。

主人公のあきちゃんにとって、岡田の存在は、彼の恋人だったなっちゃんと分かちがたく一体としてある。岡田に恋したときから、いつも彼女は岡田の向こう側になっちゃんを見ていた。なっちゃんの「白くてかわいい」様子を自慢げに語る岡田に「写メ見せてよ」とせがむけど、結局見せてはもらえない。あきちゃんの脳内では、もう「なっちゃん=白」のイメージが嫉妬とともに広がるばかり(ソフトクリームの「白」の氾濫!)。

あくまで、あくまで、一般論ですが(笑)、相手が浮気すると、男の怒りは女に直接向かうけど、女は相手の女に向かう。精神分析的には、男は所有欲、女は関係欲の動物だから。この作品では、女性の三角「関係の欲望」の形が、甘酸っぱいまでに純粋に表現されている。

岡田にとって、なっちゃんはなっちゃん、あきちゃんはあきちゃんで。だけどあきちゃんにとってなっちゃんは、そうであったかもしれない自分であり、いつでも自分と入れ替わっていたかもしれないもう一人の自分だ。だから嫉妬もするけど、それ以上に愛おしい存在。「「なつ」の後は「あき」かあ。岡田もやるなあ」というたわいない友達の一言がいつまでも心に引っかかるのも、大人になってから岡田がなっちゃんを忘れていたことに突然怒り出すのも、そのせいだ。あきちゃんと結婚間近の岡田にとって、それは妄想的な「執着」でしかないから、「どうした、マリッジブルー?」「お前、こえーよ」ってなる。

青春時代の記憶にあふれた田舎を離れ、都会の新宿にやってきて、少しずつ大人になっていくあきちゃん。「新宿」は青春時代の「終点」だ。そこで彼女は、いろいろあったけど高校のときからちゃんと好きでい続けられた、そして今もはっきり「愛してる」と言える岡田と結婚して、これからも一緒に生きていこうと思う。そのとき、バスの隣に揺られているなっちゃんを、彼女はいつまで引きずるのだろう。

でも、もう実は彼女はわかってる。かつてはなっちゃんと「終点」の先の「新・新宿」まで一緒に行きたいと思っていた彼女は、愛する岡田と離れがたくあった、だからこそ自分とも一心同体のように、自らの背中に背負ってきたなっちゃんという存在と、今、きっぱりと決別の朝を迎えなければならないことを。この新宿で、新しい朝を迎えなければならないことを。

地面に散乱するソフトクリームとカップ麺、なっちゃんとあきちゃん。

「なっちゃん、しっかり生きてよ!」「消費されないで!」「なっちゃんにとって、これから幸せなことばかりありますように」。

あきちゃんはかつての自分と、「あき」の前の「まだ新宿」にいる「なつ」と決別する。そして、あの青春時代の続きとしての妄想の「新・新宿」ではなく、まったく新しい新宿の朝を迎えようとしている。そこには、青春時代から一緒だった人たちが、そしてあきちゃんの大切さを改めて思い、これからも彼女と一緒に生きていこうとそれぞれ決意を新たにした、あきちゃんにとってとても大切な人たちが、きっと待っている。
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