六郎

ロニートとエスティ 彼女たちの選択の六郎のネタバレレビュー・内容・結末

5.0

このレビューはネタバレを含みます

痺れる。ほんとに

2018.7月

2022.10.1
思い返せば、今や9割8部クィア映画しか嗜好してない自分にとって、この作品は原点ともいうべき映画だったのかもしれない。私が初めて観たレズビアン映画が、キャロルでもアデルブルーでもなく、disobedienceだった事実をなんとなく気にいっていたんだけど、それがなんでなんだろうと思って、もう一回考えてみることにした。(一言にすると「痺れる」でしかないのが最高に思春期すぎておもろい)

クィア映画で私が「刺さる...」になる要素は、抑圧(サディストかな...)(もちろんクローゼットなコミュニティにいること)と、二人の親密性への共感なのだと思う。被害に敏感ってのもあるけど、、(-。-;

抑圧のなかで、それに抵抗する/従順でいるに二分化されてしまった二人が、それでも親密性を築きたくて葛藤する切実さとか不条理さへの慕わしさ(なんかサディスト的コメントだな...二人だけの領域を不条理から守ろうとする、なんだろ、気概っつーか、なんだろ、なんかへの慕わしさってこと)

暴力性が本質的に内包された義務的というか片務的な行為(めっちゃ言うぢゃん。。)としてじゃなくて、優しさ、愛おしさの表出として描かれる性描写

つまり、自律的で「不服従」たる態度が、二人の親密性にあらわれているような、そういう映画がわたしには必要なんだ。
そしてこの映画からは(タイトル通り!!)女たちのdisobedience、autonomy、intimacyを読み取れまくるという意味で、痺れまくったんだろう。たとえば、髪に触れるシーンとか...もう良すぎて...

言葉にするきっかけがあってよかった😊
六郎

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