ロニートとエスティ 彼女たちの選択の作品情報・感想・評価・動画配信

「ロニートとエスティ 彼女たちの選択」に投稿された感想・評価

ひーた

ひーたの感想・評価

3.5

レイチェル・ワイズ×レイチェル・マクアダムス....私の推し女優さん2人だったので衝動的に観てしまった笑笑

自由に生きることの難しさ
宗教は人を自由にするのだろうか。
倒れる前の最後の説教で、先代のラビは、自由意志こそが、天使と獣の中間にあって人を人たらしめると説く。
そのラビを追悼する終盤の説教で、後継ぎに指名されて説教をすることになったドヴィッドは、心の動揺を隠しきれない。
その前の日、妻のエスティに、「私に自由をください」と懇願された。そのエスティが、ロニートとともに聴衆の中にいる。

人を自由にするはずの宗教が、逆に人の自由を奪い窒息させる現実がある。戒律は厳しく、安息日にはあれもこれもしてはいけない、男と女は当然結婚して子を生むべきである、などなど。
全身黒ずくめで帽子も黒、ひげを生やした正統派ユダヤ教の男たちの威圧感は、人の自由を奪う宗教の力を見せつけるかのようである。
そこから自由になるために、かつて逃げだしたのがロニートで、いま彼女はエスティを連れて再び逃げようと彼女に提案している。
ドヴィッドはうわの空で、用意した原稿を棒読みするが、途中で読むのをやめて、ためらいつつも自分の言葉で語りはじめる。先代の説教を引用しつつ、最後には、君たちは自由なのだ、自由に生きるべきなのだ、と宣言するその言葉は、同時にエスティの選択を肯定するものだった。この一言を言うまでに、彼がどれほど思い悩んだことだろう。彼女が彼をを捨てて別の人生を歩むことを肯定するまでに。
同時に彼は、自分は後継ぎの器でなく、まだ未熟なのだから、と、後継者となることを辞退する。彼はもはや、自信をもって語ることができない。いままで信じてきた宗教と、人間の自由とのあいだに折り合いをつけられなくなった。
その後シナゴーグの外に出たドヴィッドを追って出てきたエスティをドヴィッドが抱きしめているところにロニートも姿を現すと、ドヴィッドが彼女を抱擁に招き入れて、三人で抱きあうところ、ドヴィッドの背中でロニートとエスティの指がからみあう場面が圧巻だった。
人目を避けてしのび逢うロニートとエスティのラブシーンが美しい。ロニート役のレイチェル・ワイズがプロデューサーも兼ねているようで、女性の視点から見た女性同性愛はこれほど美しいものなのか、と知る。我々は今まで、男性の視点からの女性同性愛ばかり見せられてきたのかもしれない。
エスティがいつもウィッグをかぶっているのは象徴的。はずすとあらわれるショートヘアはなかなかチャーミングなのだが、ユダヤ教のコミュニティのなかでは浮いてしまうのだろう。こうありたい自分をつねに覆い隠して生きることを強いられる息苦しさは、少し想像できる気がする。就活スーツとかね。

このレビューはネタバレを含みます

映像の安っぽさが、少々気になった。

一度信仰した宗教って、一生添い遂げるものだと思ってしまっている節があるから仕方のないことだけど、やっぱりどうしてもどこかでそれをしがらみに感じてしまう。自分の人生を導いてくれる存在だし、大切なことだとは思うんだけども。

この物語で重要人物のドヴィットが終始、妻を想っての行動や言動をしていてとても尊き存在でした。
親友であり、夫であり、家族だった。そんな彼が、二人の恋のキューピットだなんて、素敵やん。暴力とかあったらば、火を吹いて激昂していたけどもよ。

最後は、結ばれたのかな。絶妙な描写だけど、彼女たちと赤ちゃん、そしてドヴィットの幸せを願います。
灰沢

灰沢の感想・評価

2.7

このレビューはネタバレを含みます

ドヴィッドのスピーチとその後3人でハグするところが良かった。
ロニートとエスティは最終的に離れるけど、希望が見える別れなので安心した。

エンディング曲が映画に合ってないのがとても気になりました
かつて黒澤明の作品を集中的に観ていたときに感じたことは、映画が映画になるためにはモニュメント(像)とモーメント(瞬間)の2つの要素が必要ということでした。彼はそのことをたいへん明瞭に描き出した監督という捉え方を僕はしています。

そしてこのことは『ロニートとエスティ 彼女たちの選択』(2017年)と『ナチュラルウーマン』(2017)が、同じセバスティアン・レリオ監督による同時期のものであることからも、映画理解への1つのアプローチとして的外れではないという印象が深まりました。どちらも僕は好きな作品ですし、雰囲気的には『ロニートとエスティ』のほうが好きなくらいなのですが、映画としての力は圧倒的に『ナチュラルウーマン』のほうにあります。

イギリスのある地方都市を舞台に、厳格なユダヤ教のコミュニティで育ったロニート(レイチェル・ワイズ)とエスティ(レイチェル・マクアダムス)。彼女たちはかつて同性愛の関係で結ばれていたものの、ユダヤの戒律はそれを許さず、ロニートは故郷を捨て海を渡ったニューヨークでカメラマンとして生計を立てていた。そんなある日、ユダヤ教の指導者(ラビ)としてコミュニティから絶大な信頼を寄せられていたロニートの父親が亡くなり、葬儀のために彼女がイギリスに帰ってくるところから映画は始まります。

本作の原題は『Disobedience』(違反, 不服従)で、フェミニズム作家として活躍するナオミ・オルアーマンの自伝的デビュー作品を原作としているようですが、劇中では様々なユダヤ教の教義にロニートは対立し、彼女を慕うエスティは引き裂かれ、その周囲の人々もまた因習のなかで揺れ動いていきます。そうした女性2人を中心とする群像のなかで、ユダヤ的な規範のうちに生きる人々の描写にも血が通っており、エスティの事情をすべて知りながら彼女と結婚していた夫ドヴィッド(アレッサンドロ・ニヴォラ)の心情もたいへん上質に描かれています。

最終的に「自由意志」とは何かという(これこそまさに)哲学的な問いかけのうちに映画はラストを迎え、3人はそれぞれの道を歩んでいくことになる。

哲学とは時代によって新たな考えに更新されていく更新性にこそ核心があるのに対して、宗教とは時代を遡るように古い教えを遵守していく遵守性にこそ核心がありますから対立するのは当然なのですが、その対立を妻にだけではなく、夫である自身のものとして引き受けていったドヴィッドの描写や、布石として冒頭に示されたロニートの父親の描写にも深い味わいがあります。彼らもまた教義と愛のうちに大きく引き裂かれていた。

ですから物語としてのプロットには上質なヒューマンドラマが宿っています。しかしながらモニュメント(像)の要素が希薄だったために、「Disobedience」という名の自由を行使するモーメント(瞬間)が、映画としての力を持たなかった印象があります。いっぽうで『ナチュラルウーマン』のほうは、どこかマジックリアリズムのような非現実的な映像を差し込むことでモニュメント(像)を形成していた。

セバスティアン・レリオの監督としての作家性には、愛ゆえに喪失することと、その喪失をどのように引き受けていくのかというテーマがあるように思いますが、それは『ナチュラルウーマン』にも『ロニートとエスティ』にも共通して描かれています。またレイチェル・ワイズとレイチェル・マクアダムスの2人の女優を僕は大好きですし、作品の肌合いとしては『ロニートとエスティ』のほうを好むのですが、明らかに映画になっているのは『ナチュラルウーマン』のほうです。

こうしたモニュメント(像)とモーメント(瞬間)の関係を、あらためて興味深く思う作品でした。
tani

taniの感想・評価

3.7
2人の女優が美しいのは良きことだけど、重厚な雰囲気とは裏腹に展開が少し安っぽいというか、昼ドラ感あったなぁ。最後NY行くのやめたのは何でかよく分からなかった。
と言いつつ引き摺ってしまってる自分も居て、地元から離れた街で手を繋いでる2人が、エスティの写真を撮ってるロニートが、撮られてるエスティが、儚くて切ない。最後一緒NY行って欲しかったなぁ。 まぁそうなったらそうなったで、エスティが幸せになれたのかは分からないんだけれどね。

観返して、ドヴィッドの器の大きさと3人での抱擁にもグッと来た。
ANT

ANTの感想・評価

3.7

このレビューはネタバレを含みます

敬虔な信者の生活、寂しいけど厳かな家や町の雰囲気が嫌いじゃなかった。
最後、この人の元にいても産まれてくる子供は不自由を強いられないと判断したからあの選択なのね。
自分の恋愛よりも子供の生きやすさを選んだエスティを不幸じゃないと思える爽やかなラストだった。
2017年トロント国際映画祭 出品

アメリカ人女性版「his」

今泉力哉監督の「his」との違いは、宗教が複雑に絡んでくるところ。
主人公の亡き父は、ユダヤ教のラビ(指導者であり学者)

「ナチュラルウーマン」のセバスティアン・レリオ監督作品。
レイチェル・ワイズ主演。
ラビの父親の死亡の知らせを受け帰郷。NYで写真家をやっているロニートはエスティと結ばれる。
NYでキャメラマンとして活躍するロニート・クルシュカさんに父親の訃報が届きます.厳格なユダヤ教信仰が支配する故郷への帰郷.父親の病状を知らされていなかった事から,故郷でのロニートさんの評価が伺いしれますし,ロニートさんも歓迎されるとは思っていませんでした.が,今は夫婦となった旧友のドヴィットとエスティさんだけは暖かく迎え入れてくれました.ですが,ロニートとエスティはかつて・・・いや今も深い想いを寄せる同士だったのです.ユダヤ教がその愛を許さないと知っていても・・・
いいですねぇ大人の百合映画.10代の感情むき出しのささくれだった恋愛模様とは違う,しっとらした大人の恋愛模様,しかも百合.心が洗われます.こんばんわ三遊亭呼延灼です.

こういうと各方面からお叱りを受けるやもしれませんが,あたしゃ宗教は人を幸せにする道具と思ってます.ですから,戒律によって人の心が縛られるなんて知らんがな,んな戒律があるなら戒律のほうが間違えていますという立場であります.ユダヤ教が同性愛を禁じるならその戒律が間違えています.それと神様を信仰する気持ちは相反しないでしょう.違うのかしら?

コミュニティにあってはロニートさんもエスティさんも,見せる笑顔はぎこちないものでした.ですが,その地を離れホテルで結ばれた姿は全てから開放されたお姿で,大変素敵でございました,と同時に助平マックスでもございました.助平上等じゃございませんか,それで魂が救済されるなら,助平も報われるってもんですよ(あたしゃ何言ってんっすかね).ロニートさんの行きずり刹那的助平でもなく,エスティさんの毎週金曜日に繰り返される子作り作業としての助平でもない.愛情溢れる助平.こーゆーのは助平冥利につきるってもんでございます.

その助平の先にエスティさんが下した結論.それは結果だけみれば元鞘なのかもしれませんが,与えられたものではなく,エスティさんが選択したものであります.それは全然違いますよね.もしかしたら,将来今度はエスティさんが子供を連れてNYのロニートさんを訪れるかもしれません.だって,父親の墓をフィルムに収めたロニートさんには,故郷に残したものなぞ何もないのですから.

あと後日確認しましたところ,エスティさんってドクター・ストレンジのクリスティーンさんだったのですね.そりゃわからんって.雰囲気全然違うですもの.
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