まさか

Don't Blink ロバート・フランクの写した時代のまさかのレビュー・感想・評価

4.2
大のインタビュー嫌いで通っているロバート・フランクが、90歳を超えて初めてカメラの前でその半生を語り明かした画期的な人物ドキュメンタリー。長年ロバートの映像作品の編集を担当し、彼が全幅の信頼を置いているローラ・イスラエルだからこそ撮れた、唯一無二の作品である。

ロバート・フランクは言わずと知れた偉大な写真家だ。1924年11月9日にスイスのチューリヒで生まれた。長じて、閉鎖的なスイスから逃れたくて、すでに評価を得ていた写真家としての確かな腕を武器に、1947年、単身アメリカ・NYに渡った。間もなくハーバーズ・バザー、ヴォーグ、フォーチュンといったクオリティマガジンで仕事を始めてキャリアを重ね、1955年にはグッゲンハイム財団の奨励金を得て、9か月にわたって全米を巡り撮影を敢行。767本のフィルム、27000カットの写真をもとに1冊の写真集を編もうとした。アメリカの主だった出版社に写真を持ち込んだが全て断られ、ようやく1958年にフランスの出版社からLes Americainsとして刊行。これが奏功したのか、翌年にはアメリカでもThe Americansのタイトルで刊行された。しかし、出版から数年は酷評ばかりが目立つ。彼の撮ったアメリカはアメリカではないというのがその理由だった。豊かなアメリカの中の貧しさや矛盾に正面からカメラを据えて撮られた写真だったからだ。

1950年代のアメリカは世界で最も豊かな国として光り輝いていた。現在と比べれば比較にならぬほど大きな中間層が誕生し、文化的にも絶えず新しい動きが生まれる躍動感に満ちた国だった。だからこそ人々はロバートの写真のアメリカは、異邦人の歪んだ目が撮らせたのだと主張した。にもかかわらず、やがて人々はロバートがその写真で突きつけた真実に気づきはじめる。ヒッピームーブメントやウーマンリブの隆盛、公民権運動の活発化、そして泥沼化するベトナム戦争にノーを叫び始めた若者たちの声。カウンターカルチャーがメインストリームに踊り出んとする時代の大きなうねりが、ロバートの先見の明を証明し始めていた。

写真集はアメリカ国内のみならず世界中で評価が上がり、オリジナルプリントには法外な値段がつくようになった。時同じくして、写真の著作権の管理を任せていた弁護士に騙され、著作権を奪われた。そのことに嫌気がさした彼は、長く写真の世界を離れて映像の世界に向かう。尤もロバート・フランクの映像作品は、その写真と同様に極端に私的かつ無手勝流であるため、映画としては商業的な完成度に難があった。写真と映画のメディアの違いなのか、ロバート・フランクには、やはり写真が似合う。息子と娘を2人ともに若くして亡くす不幸に見舞われつつ、本作公開時に92歳だったロバートは、それでもDon't blink.(瞬きするな)の戒めを自分に課してシャッターを押し続ける。

映画は彼の半生を、ほぼ関係者のインタビューに依らず、ホームムービーを含む古い映像や彼自身の写真を織り込みながら解き明かす手法を取っている。そのことで、彼の生き方をストレートに伝えることに成功している。

劇中に流れる最高に格好いいロックもまた捨てがたい。映像と音楽と、その主題である人物とが、これほどまでにぴったりと合った作品も稀だ。転がり続ける92歳のパンクな爺さんと、格好いいロックンロールとハードボイルドな映像の、なんとイカしたコラボレーション!

本作の実現に関して監督のローラ・イスラエルはこんなエピソードを語っている。「ある日、彼にこう聞いてみたんです。あなたのドキュメンタリーを撮ったらどうかって勧める人がいるんだけど、どう思う?って。答えは予想どおり “No”でした。でも翌日になって彼の方から“来週から始めよう”と言い出したのです。なぜ気が変わったのかは分かりません。ただその時、こう感じました。彼には語る準備ができたんだ。そして、彼はこの時を待っていたのかもしれないと」。とてもいい話ではないか。ちなみに、2016年の秋に東京藝大美術館で開催されたロバート・フランク展(世界50都市を巡る展覧会の10都市目)のパンフレットの素晴らしさも、この映画に勝るとも劣らない。まだAmazonで買えるのかな?
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